ローランド サッカーの実力は?小・中学・高校時代から現在まで時代ごとの詳細!

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ホスト出身のローランドさんは、サッカー好きで有名です。

有名サッカー選手とも交流があるようで、やはり一流の人は一流の人と過ごすんだ~と。

そしてなんとロナウジーニョとフットサルをして楽しむ姿をインスタに乗せたこともあります!

そんなに、ローランドってサッカーが上手だったの?

スポーツでグランドの砂にまみれて汗をかく、といういメージからは程遠いローランドさんのサッカーについて。

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ローランド の小学・中学時代のサッカーの実力は?

 

ローランドさんがサッカーを始めたのはいつ?

ローランドさんは幼稚園生の頃からサッカーをしていました。

気が付いたら、ボールを蹴っていた、と言うのですからきっとご両親のお考えで小さなころからサッカー教室にいれたのでしょうね。

話はそれますが、私の家の近くに幼稚園があるのですが、課外活動のような感じで幼稚園が終わってからサッカー教室を開いて本当に小さいお子さんがいますね。

この中からそのうちプロサッカー選手になる子がでるんだろうな~と、幼いながらもものすごく上手にボールを蹴る彼らを見ていました。

ローランドさんもそういうお子様のひとりだったのでしょう。

小学生になっても勿論サッカーを続けて、中学生になると柏レイソルのアカデミージュニアユースの青梅支部に入りました。

柏レイソルのアカデミーはサッカー選手育成の名門として知られるところです。

ローランドさんはそのころにはもうプロのサッカー選手になることを目標にボールを蹴っていたのです。

ローランドさんは今、ストイックなまでにご自身を律することで有名ですが、どうもそのお人柄は子供のころから培われていたようです。

良いプレーをするにはどうすればよいか、ゴールを決めるにはどうすればよいか、そればかりを考える子供時代でした。

ローランド

サッカー強豪高校からサッカー特待生の誘い

サッカーに必要なこと以外はすべて無駄に感じていた、と言うほどサッカーにのめりこんでいた中学生時代のローランドさんのサッカーの実力はきっと評判だったのでしょうね。

サッカーの強豪高校からサッカー特待生のお誘いが監督直々にあったそうです。

「責任をもってプロのサッカー選手にします。

授業料は要らないから是非うちの高校のサッカー部に来てください。」

とオファーしたのが高校サッカーの名門中の名門、帝京高校の廣瀬監督だったのです。

 

ローランドさんの帝京高校のサッカーの実力は?

 

帝京高校の全寮制のサッカー部に入ったローランドさん

そうしてサッカーの強豪校帝京高校に入学したローランドさん。

勿論サッカー部に入部して毎日毎日限界まで練習に励みました。

話はそれますが、帝京高校では寮に入っていたそうです。

寮生活はたいへんではなかったですか?という問いに、ローランドさんは「当時反抗期だったので、早く実家を出たかったので」とおっしゃられました。

「でも、寮に入ったら大変で親の有難さに気が付いて、あっという間に反抗期が終わりました。」

そりゃあ、帝京高校のサッカー部の全寮制、と聞いたらその厳しさが想像できるというもの。

練習量も半端ないでしょうけれど、きっと寮の規律も厳しいのでしょうね。

いつだったか、ローランドさんがご自身の弟さんをビジネスマンとして仕込む場面で、エステサロンの一店舗を任せたのですが、まずはお店を綺麗に整えることを教え込んでいました。

乾燥機のフィルターのチェックまでして「マジきたね~!」と叱責していました。

もしかしたらそいういった身の回りを整える、という人間としての基本は帝京高校の全寮制で植え付けられたのではないか、とふと思いました。

廣瀬監督が語るサッカー選手としてのローランドさん

実業家になったローランドさんと再会した元帝京高校のサッカー部の元監督広瀬氏が語るに、ローランドさんは「力強いプレイをする選手」だったそうです。

今よりも骨太でガタイもよかったそうです。

今のすらりと細いローランドさんからは想像ができません!

(でも、実はいまもローランドさんはタキシードの下は素晴らしく美しい筋肉の持ち主なのです

<ローランドの筋トレメニュー詳細!サッカー時代と体型比較したら凄いことにw>の記事はこちら→☆>

そしてローランドさんは当時を振り返って

ゴリゴリで、泥臭くて、ただ点を取るためだけにピッチに立っているようなストライカーでした。技術的な意味ではずっと『ヘタクソ』と言われ続けていたので、足元のうまい選手がうらやましかった。そういう選手との差は、ずっと感じていました。

とおっしゃっています。

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自分とうまい選手の差を感じた高校生時代のローランドさん

ローランドさんは1992年生まれでいらっしゃいますが、この年の生まれはサッカーがずば抜けて上手い選手が多かった「プラチナ世代」と言われています。

そして、帝京高校にも勿論このプラチナ世代の選手が数多く集まったのです。

中学生の時はずば抜けてサッカーがうまかったローランドさんも、強豪の帝京高校に行ったら周りにはご自身よりはるかにうまい選手がいることに愕然としました。

これ以上はできない、という努力をしても彼らを抜くことはできなかったローランドさんは、人生の挫折をサッカーで味わったのです。

高校生時代はなかなか試合にも出られなかったそうです。

そしてローランドさんの印象に残っているのが宇佐美貴史(ガンバ大阪)選手で、一度対戦したことがあるのですが、宇佐美貴史選手がうますぎて何もさせてもらえなかったそうです!

その時の様子を

まるで教習所に1台だけフェラーリが走っている感覚でしたね

とおっしゃるローランドさんの例えが、いかにもローランドさんだ~と笑ってしまいますが。

プロのサッカーになることを完全に諦めた高校3年生の時

2010年11月13日の都大会の決勝で駒澤大学高校に負けてローランドさんはプロのサッカー選手になる夢を完全に諦めました。

サッカー選手になる夢だけを追ってきたローランドさんはどれほどくやしかったでしょうか。

ローランドさんはその時の気持ちを

人生であれ以上の屈辱を味わったことはありません。

とおっしゃっています。

このときから、ローランドさんは一時サッカーが嫌いになったといいます。

挫折しても、ピッチ歩く夢を叶えた現在

そうした失意の中からローランドさんは絶対に逆転してやる!と思って飛び込んだのがホストの世界でした。

帝京高校のサッカー部の経験があったから今の自分がいる、とおっしゃるローランドさん。

その言葉でどれほど厳しい高校生活だったかわかりますが、その厳しさとともに「絶対の逆転いしてやる!」という挫折からの奮起がローランドさんをホストのTOPに上り詰めさせたような気がします。

プロのサッカー選手になりたいのになれなかった、という挫折がローランドさんをより強くしたのです。

そのことを

悔しさがエネルギーだった

とローランドさんはおっしゃっています。

そして今ホストとしての頂点を極めて引退した後はビジネスマンとして活躍されていますが、サッカーを心から楽しんでいらっしゃうそうです。

そういう話を聞くと、ローランドファンとしては嬉しくなりますし、また、私も頑張ろう!と思えてきます。

そしてセレッソ大阪が主催するイベントのゲストとしてヤンマースタジアム長居のピッチを歩いたことがきっかで今ローランドさんはセレッソ大阪のサポーターになっています。

ピッチを歩くという夢をかなえましたね、ローランドさん!

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