篠原涼子と小室哲哉の関係は?出会わなかったら今の自分は無い、と言える理由

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女優として大人気の篠原涼子さん。

またドラマやCMのイメージから明治安田生命が新入社員を対象に調査した「理想の上司」の女性第1位に2007年・2008年と2年連続で選ばれました。

その篠原涼子さんはかつて 日本の女性ソロ歌手のCDシングル売上で初めてダブルミリオンを記録した歌手だったということを若い世代はご存知無い方も多いかもしれませんね。

逆に、「歌手篠原涼子」を知っている世代から見ると、あの実力があって何故歌手を辞めたの?もう歌わないの?と思われている方もいらっしゃると思います。

特に、小室ファミリーとして活躍していた歌手として絶頂の頃をファンの一人として懐かしく思います。

今日は篠原涼子さんと小室哲哉さんの関係について。

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デビューは16歳  アイドルだった篠原涼子

1989年ドラマ『高速戦隊ターボレンジャー』第33話(テレビ朝日)で、都立武蔵野学園高校の生徒役でゲスト出演したのが、篠原涼子さんのデビュー作です。

この時、篠原涼子さんは16歳でした。

そして翌年1990年4月にアイドルグループ・東京パフォーマンスドール(TPD)のメンバーとしてデビュー.

5月、シングル「JUST LIKE MAGIC」をグループ内ユニットのゴルビーズ名義で発売しCDデビュー。

小学生のころから歌手になりたかった篠原さんは夢を叶えて歌手になったのです。

このTPDの中で篠原涼子の歌唱力は群を抜いていました。

1991年『ダウンタウンのごっつええ感じ』にレギュラー出演したときにアイドルでありながらお笑いに体当たりで臨む姿勢で人気が出ました。

小室哲哉さんとの出会いそして小室ファミリーのメンバーとして

世間からは全く知られていなかったけれども歌手力が半端ない、という篠原涼子さんのことを聞きつけた小室哲哉さんが、ある日篠原涼子さんのライブを見に来てくれたそうです。

そしてその後小室哲哉さんは「僕がイメージしているメロディにぴったりな声だったから」と「恋しさと せつなさと 心強さと」を篠原涼子さんにプロデュースします。

この「恋しさと せつなさと 心強さと」はCDシングル売上200万枚を突破し、ダブルミリオンを記録した作品となったのです。日本の女性ソロ歌手として初めての記録でした。

この「恋しさと せつなさと 心強さと」で篠原涼子さんはレコード大賞優秀賞を受賞し、紅白歌合戦への出場も果たしました。

こうして篠原涼子さんは小室ファミリー黄金期の先駆けとして、一躍アーティストとして名を馳せ時代の寵児となりました。

このころのことを振り返って篠原涼子さんはこんなエピソードを後に明かしました

『恋しさと~』のレコーディング時に「こんな高いキーは出たことがないから歌えないかもしれないです」と言ったんです。そしたら「歌えるよ。必ず出るよ。やってみて」と言われ、その場で小室さんがピアノを弾きながら「あー」という発声とともにキーを一つずつ上げていったんです。そしたら「OK。ほら出たじゃん。じゃあこのキーでやるから」と言われて一番高いキーを設定されたんです。当時まだ19歳だった私は「こんな限界突破をさせてくれるすごい人がいるんだ!」と驚かされました。

小室哲哉さんは「恋しさと せつなさと 心強さと」を世に送り出すにあたって篠原涼子さんに白羽の矢を立てた理由を20年以上たってから明かされました

頑張る姿を見て「この子は負けない子だなって思いましたし、くじけないだろうな」

と感じたためだそうです。

芸能界、というと華やかで運の強い人が上がっていく、というイメージがありますが、「頑張る」「負けない」とか「くじけない」とか、そういったシンプルな努力する姿勢のようなものも問われるのだと知ってなんとなく見方が変わった気がします。

そして、篠原涼子さんは小室哲哉さんに出会わなかったら今の自分は無い、と断言されています。音楽をやりたいと思っていた自分が「恋しさと せつなさと 心強さと」を世に出せたこと、そしてやりたい方向にシフトチェンジさせてくれたのは、小室哲哉さんのおかげ、と感謝を語っていらっしゃいます。

小室哲哉さんとの決別と女優の道

しかし、1995年8月発売の2ndソロアルバム『Lady Generation 〜淑女の世代〜』を最後に小室プロデュースを離れることになります。

小室哲哉さんとタッグを組んでいたのはわずか一年半のことでした。

小室哲哉さんの元を離れた篠原涼子さんはその後は小室哲哉さん以外の曲ではヒットに恵まれませんでした。

そのことで篠原涼子さんは売れたのは、自分の実力ではなかった。これはやっぱり小室さんの力なんだな、と悟ったそうです。

「自分の力って何もなかったんだな、と思ったときに、すごくショックだった。小室さんの力ってやっぱりすごいんだな、そこに自分は便乗していただけなんだなって、気付いたんです」

その挫折感から一時芸能界の引退をも考えたそうです。

でも、引退をしなかった理由を次のように語られました。

「結局、小心者で辞めることもできなくて。父親には相談していました。父親は『頑張りなさい』と言うタイプでなく、『辞めたかったら辞めてもいいよ』『いつでも帰ってきていいよ』と言ってくれる人。その言葉をもらえたから、辞めずに頑張ろうと思えました」

結果的には篠原涼子さんはこのころから歌手活動と並行して女優業にも力を注ぎ舞台やドラマに多数出演し、女優としてみとめられるようになります。

でも、篠原涼子さんは今でも歌手として歌うことを望んでいらっしゃいますので、いずれそのうち、歌手としての活躍を再び見ることができるかもしれませんね・

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