黒柳徹子の元恋人は誰?恋愛遍歴と40年間の遠距離恋愛(画像有り)

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放送45年目で11000回以上の「徹子の部屋」の司会をされる黒柳徹子さん。

今日まで、独身を通してこられましたが、実は40年に渡って遠距離恋愛をしていた恋人がいたという話を2017年の「一周廻って知らない話 黒柳徹子に失礼な質問10連発SP」というTV番組でご本人が明かされました。

そのお相手の方のお名前を黒柳徹子さんはおっしゃらなかったので、その外国人の音楽家は誰か?ということはわかりませんでした。

が、黒柳徹子さんが親しくされている外国の方はさほど多くないらしく、ほぼこの方で間違いないであろう、という方のお名前が浮上しました。

その黒柳徹子さんと40年に渡って交際をしてきたという方は誰でしょうか?

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黒柳徹子さんの40年続いた遠距離恋愛の元恋人は・・・

黒柳徹子さんが40年に渡って遠距離恋愛をしていたお相手は

アレクシス・ワイセンベルクさん、と言われています。
ブルガリア出身のユダヤ人ピアニスト兼指揮者ですで、現代の音楽界で巨匠と称される音楽家のひとりです。

あまり多くの資料はないのですが、黒柳徹子さんがニューヨークに留学していたころにお二人はニューヨークで出会われてのではないか、と言われています。

アレクシス・ワイセンベルク(Алексис Вайсенберг)について

ブルガリアに生まれて亡命するまで

アレクシス・ワイセンベルクさんは1929年にブルガリアで生まれました。

幼い頃に母親からピアノの手ほどきを受けたあと、ウラディゲロフ氏に作曲とピアノを学び、14歳でピアニストとしてデビューしました。

けれどユダヤ人であったため第二次世界大戦中、迫害から逃れるために母親とトルコへ亡命することにしました。ブルガリアを出たときの持ち物は、小さなカバンと少しのサンドイッチと段ボールそして以前伯母さんからプレゼントされた古びたアコーディオンだけ。

このアコーディオンが後に彼の人生を救うことになるのです。

トルコへの亡命は失敗し、彼は国境近くの強制収容所に収監されてしまいました。明日の保証もない辛い日々を強制収容所で過ごしていましたが、そんな中、音楽好きな一人の看守がいました。

シューベルトが大好きなその看守はワイセンベルクにアコーディオンを弾くことを許します。そして度々ワイセンベルクの元を訪れては、演奏するように促すのでした。

強制収容所で3ヶ月経ったある日このドイツ人の看守がワイセンベルクたちを大きなダンボールに入れて彼らを駅まで連れて行き、彼らを列車に乗せたのです。

そしてその看守は列車の窓からワイセンベルクのアコーディオンを投げ入れてこういうのです「幸運を!」

その30分後、彼らはトルコの国境を越え、亡命は成功しました。
ワイセンベルクのたぐいまれな音楽の才能と、アコーディオンが彼の命を救ったのです。

ジュリアード音楽院に入学後一流のピアニストになるまで

1946年にニューヨークのジュリアード音楽院に入学してからは著名な音楽家の指導を受け、ワイセンベルクはメキメキと実力を高めます。そして卒業した時には、各国から演奏会に招かれるほど有名になったのです。

1956年27歳のときに、ワイセンベルクさんはパリに移住しフランスの市民権を取得しました。いっときは表舞台に出ずピアノ教師として暮らしていたこともありましたが10年後の復活、

各種コンクールでは賞を総なめにしました。そしてカラヤンをはじめ著名な音楽家たちとの共演も果たして、世界の一流ピアニストとして名をはせたのです。

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黒柳徹子さんとワイセンベルクさんの出会い

お二人は、黒柳徹子さん38歳、ワイセンベルクさん42歳時にニューヨークで出会われたのではないかと言われています。

お二人はすぐに交際を始めたようなのですが、黒柳徹子さんは日本、ワイセンベルクさんはフランスに住んでおり、二人とも忙しく合えるのは一年で1.2回でした。勿論、現代のようにメールもありませんから、お二人の意思の疎通の手段はもっぱら手紙とFAXだったそうです。

今では考えられないことですが・・・案外、そのような不自由な遠距離恋愛というものは逆に情熱を掻き立てるのに良いのかもしれません。

ワイセンベルクさんからはパリに来て欲しいと言われましたが、その時「徹子の部屋」の企画が決まっており日本を離れられない徹子さんは遠距離恋愛になったのです。

そして芸能人として多忙な日々を過ごす黒柳徹子さんは短い休暇でも取れるとすぐにワイセンベルクさんに会いに行ったそうです。

またワイセンベルクさんもこの間9回も来日されています。

そして1982年の来日の時には「徹子の部屋」に出演されていました。

そしてその遠距離恋愛のまま40年もの年月、お二人は交際を続けられたとのことです。

残念ながらワイセンベルクさんが虹の橋を渡られたことによってその恋愛は終わりを告げました。

現代の私達からみるとまるで素敵なおとぎ話のようなお話です。

でも黒柳徹子さんは、そのような経験があったからこそ別に結婚しなくても生きてこられた、というようなことをおっしゃっています。

黒柳徹子さんの恋愛遍歴

黒柳徹子さんにはこのほかにも実に多くの恋愛遍歴があったと言われています。

あれほど魅力的な方ですから、それは人間としても女性としても人気があったことは疑う余地が有りません。

中には恋愛にまで至らなったものもあるようですが、どのような華やかな恋愛遍歴があったかさくっと見てみましょう。

飯沢匡さん(1909年7月23日 – 1994年10月9日)

劇作家・演出家・小説家 でいらっしゃいます。

「ヤン坊ニン坊トン坊」(飯沢匡が脚本を務めるNHKラジオドラマ)に黒柳徹子がオーディションを受け、参加しトン坊役に合格ました。

それまで個性が強すぎる徹子さんはオーディンションにも何度も落ちたり降板させられたり、と否定されることが多かったのです。そのため黒柳徹子さんは「喋り方も直します、個性も引っ込めます」と飯沢さんに言ったそうです。

でも、飯沢匡さんだけは黒柳徹子さんの個性を認め次のようにおっしゃったそうです。

「直しちゃいけません。あなたの喋り方がいいんですから。どこもヘンじゃ、ありません。そのままで、いて下さい。それが、あなたの個性で、それを僕たちは必要としているんですからね。心配しなくても大丈夫。いいですね? 直すんじゃ、ありませんよ。あなたの、そのままが、いいんです!」

今まで否定されることが多かった人があなたはあなたのままで良い、と言われたらこれは心に響きますよね。この「ヤン坊ニン坊トン坊」以来お二人は長く師弟関係にあり、多くの作品で共演しました。

黒柳徹子さんは、今でも飯沢さんのことを話すときはいつも敬語を使われて、特別な存在であったことが分かるそうです。

渥美清さん1928年3月10日 – 1996年8月4日)

俳優でありコメディアンでもいらっしゃいました。

「夢であいましょう」(NHKのバラエティ番組)でお二人のコントが披露されその生きの合った様子に、熱愛報道がされるようになりました。

お二人は「お嬢さん」「兄ちゃん」と呼び合って仲睦まじく、お正月には毎年二人で「男はつらいよ」を映画館に観に行っていたそうです。

黒柳徹子さんはつぎのようなエピソードを明かされています。

私は鈍感で、渥美さんが病気だってぜんぜん気づかなかったの。当時、渥美さんと連絡を取るときには渥美さんが一人で住んでいたアパートの留守電にメッセージを残していたのね。あるとき、一緒にごはんを食べようと何度も電話したのに連絡が取れなくて、2カ月後にようやく連絡があって会ったの。「2カ月も返事がないって変じゃない。私に黙って女連れて温泉に行ったんでしょう」「温泉なんて行ってやしませんよ、お嬢さん」「ウソつき。秘密主義者!」。そうしたら渥美さん、涙こぼして笑って、ハンカチで涙拭いて、帽子脱いで頭の湯気まで拭いて、「お嬢さん、あなたほんとにバカですね」と言ったの。後で奥様に聞いたら、そのころ渥美さんは本当に具合が悪くて、まったく笑うことがなかったって。

病床にあった渥美清さんは黒柳徹子さんにどれほどなぐさめられとことでしょう。

森繫久彌さん(1913年5月4日 – 2009年11月10日 )

元NHKアナウンサーでその後、俳優、声優、歌手、コメディアンとして長く活躍しました。

森繁久彌さんはは黒柳徹子さんに会うたびに「一回どう?」と本気か冗談かわかりませんが、口説いていたそうです。
でも、その言葉の意味がわからず「何が?」と聞いていた黒柳徹子さん。

度々熱愛報道は有りましたが、恋愛に発展したことは無かったのではないかともいわれています。

アラン・ドロン(1935年11月8日 – )

フランスの映画俳優。若い頃の写真を見ると、陰のある感じの超イケメン!

私は黒柳徹子さんの恋愛遍歴を調べていて一番驚いたのはこのアランドロンです。え、マジ?って感じです。でも、想像するに。。。結婚してもうまくいかなそうな気がします。。。。

が、若い頃に番組で共演したアラン・ドロンが、黒柳徹子を口説いていた、という事実があります。それに対して徹子さんは後に

綺麗な人だったけど、タイプじゃないのよ、というようなことをおっしゃったすです。

アランドロンを振る黒柳徹子さんってすごいわ、と思います。

そして徹子さんはアランドロンとのエピソードを次のように明かしています。

「その後、みんなでナイトクラブに行って、ダンス踊ったりして。
(ドロンとは)何もなかったんだけど、後からマスコミの人が追いかけてきて、そうしたら、ドロンが明け方のプリンスホテルで、その人たちを『プライベートなのに君たち、なんなんだ!』って怒って。
映画みたいだ~って思っていたら、『もう大丈夫だよ。また会おうね』って言ってくれて」

赤塚不二夫さん(1935年9月14日 – 2008年8月2日)

漫画家。『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』『天才バカボン』『もーれつア太郎』『レッツラゴン』『ギャグゲリラ』などのヒット作を生み出した方です。

お二人の関係は赤塚不二夫さんが黒柳徹子さんにぞっこんだった、どちらかというと片思い?だったようです。

後に黒柳徹子さんはお二人にエピソードを明かしました。

大阪でミュージカルの舞台に出演していた黒柳徹子さんを赤塚不二夫さんがふらっと尋ねたことがありそうです。ホテルのバーで2人でお酒を飲んでいたとき「来ちゃった…」とつぶやいた赤塚不二夫さん。

いま考えると、あの照れ屋の赤塚さんにしては、かなり、決心して言った言葉だったに違いない。あのとき「来ちゃったって?」と、もし私が聞いていたら、もっと物事が進んでたかも知れない

と徹子さんはおっしゃています。

 

以上のように華やかな交友関係がおありの黒柳徹子さんはお見合いも3回ほどしたけれど結婚まで進まなかったそうです。

徹子さんは若い人々に〝結婚はしなくても、恋愛はした方が良い″と語られています。それはご自身が良い恋愛をして、そうすることによって人生が豊かに彩られてきたからではないでしょうか。

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