私は、何を隠そう、若い頃からの東山紀之さんのファンです!
そのころはヒガシも若くて「ヒガシのファン!」なんて言おうものならミーハー扱いでしたが、ヒガシも渋くなってきたので、今は堂々と言えます。
「ヒガシのファンなの!」
あのスッとした顔のどこかに、育ちの良さを感じていたのですが、調べてみて驚愕の事実が!
私の想像とは真逆の子供時代を過ごしていらっしゃいました。
東山紀之さんののご両親の離婚
ヒガシの父方の祖父はロシア人
ヒガシの父方のおじいさんはロシア人です。
ヒガシの髪が金髪とか、目が青い、とかだったらそうようね~とも思うのですが元祖「醤油顔」と呼ばれたタレントさんです。
おじいさんがロシア人と聞いてビックリ!しました。
でもクオーターと聞いて、納得する面もありますね。
堀の深いお顔は確かにクオーター!
で、このロシア人のおじいさま、そしてお父様も、を果物やコメを発酵させた飲み物が大好きだったようです。
そして確率を試すようなアレ、も!
その二つが過ぎ、家庭不和となってヒガシが3歳の時、ご両親は離婚をしました。
ヒガシは幼かったのでお父さんの顔を覚えていないそうです。
母方の祖父の世話もした東山紀之さんの幼少期
ご両親が離婚後は、シングルマザーのお母さんとの生活はなかなか大変でした。
お母さんが仕事から帰るまでの間にお米を研ぎガス窯でご飯を炊きお味噌汁を作る、のはヒガシ少年の仕事でした。
お風呂も無いアパートでヒガシ少年は妹の面倒を見ながら家事をしていたのです。
そして、病気の後遺症で体が不自由な近所に住む母方の祖父の世話をしたのもヒガシ少年です。
銭湯に一緒に行って、歩くのもままならない祖父の体を洗ってあげたりしたそうです。
普通の家庭だったら、おじいさんやおばあさんはお年玉をくれたり孫と遊んだり、ということをしてくれるでしょうに、ヒガシ少年は本当に苦労をしたのですね。
川崎のコリアタウンの貧困家庭で育ったヒガシ
お母さまは理髪師、の免許を持っていらっしゃるのですが、シングルで生活は苦しく、経済的に大変な思いをしたようです。
ヒガシには3歳下に妹さんがいらっしゃるのですが、幼い二人は貧しい家庭でおなか一杯食事をすることができずいつもおなかをすかせていました。
そのころヒガシは川崎のコリアン・タウンに住んでいたのですが、ご近所にヒガシと妹さんをかわいがってくれる韓国人の親子がいました。
この方は焼き肉店を開業していて、ヒガシと妹さんに豚足をおなか一杯ごちそうしてくれたそうです。
ああ、ヒガシにそういう方がいてよかったわ、としみじみ思います。
子供がひもじい思いをするのはかわいそうでかわいそうで・・・。
本当に良い方々ですね。
きっとヒガシが芸能界で活躍するのを今は目を細めて喜んでいらっしゃることでしょう。
ヒガシも著書「カワサキ・キッド」の中でそのことに触れ、あの方たちがいなかったらどうなっていたか、と感謝の気持ちを綴られています。
母親の多額の謝金を肩代わりして返済したヒガシ
ジャニーズに入所してからのヒガシの活躍はご存知の通りです。
が、その間バブル景気時代がありました。
そのころヒガシのおかあさんは、生活を安定させようとご自身の店を開きました。
が、それはうまくいかなかったそうです。
それなら、と今度はマンション投資を何件かしたそうですが、これもバブル景気が終わって失敗。
その結果、多額の借金が残ってしまいました。
ヒガシはこの母の借金を肩代わりして返済しました。
ヒガシの稼ぎがあって7~8年かかった、というのですから、その額は半端ないと推測できます。
でもヒガシの偉いところはそのことで、
僕は商才のない母の血を引いているのだから、芸道以外のことに絶対手を出すまいと決めた
と思ったそうです。
これは私の推測ですが、ヒガシはお母さんの多額の借金の肩代わりをせずに済んだかもしれません。
それでも、7~8年かけてお母さんに変わって返済したのは、借金を返さずに自己破産したとしたらそのお金を貸した人たちに相当な迷惑をかけてしまう。
東はそれをしたくなかったのではないでしょうか。
誠実な人!
ヒガシのストイックさは生い立ちの影響あり?
ヒガシは、ファンから見ても相当ストイックで我慢強い。
そこまで我慢できる根性は半端ない、と思っていたのですが、この生い立ちを知ってみると、そのストイックさは小さな頃から良い意味で培われてきたものだと思います。
小さなころから苦労をした東山紀之さん。
今は木村佳乃さんという良き伴侶を得てお子様にも恵まれ豊に、お幸せに暮らしていらっしゃいます。
そのように環境を乗り越えられたのはヒガシの努力の賜物ですね。
どうぞ、末永くお幸せに!