加山雄三の若い頃 若大将シリーズの頃が超イケメン!体形は今より細身で精悍な顔!

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年齢を重ねてもエネルギッシュで若々しく素敵な加山雄三さん。今もCMで見かけますが、その実年齢を聞くと毎回驚いてしまいます。1937年生まれですが、同年代の方より10歳以上お若く見えます。

80歳を過ぎてもこんなにかっこいいのですから、お若い頃はさぞやかっこよかったのでしょうね!

と思い、いろいろ調べてみました。

すると今までかなり山あり谷ありの人生を歩んでこられたのだなあ、と思いました。

加山雄三さんのお若い頃の写真を見ながらその人柄に触れてみたいと思います。

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若い頃は茅ヶ崎の海に親しむ生活

父親は上原謙さん、母親は小桜葉子さん

父親は俳優の上原謙さん。

母親は女優の小桜葉子さん。

お二人の間に生まれた加山雄三さん。

今はとても健康そうに見ますが、幼い頃はとても病弱だったそうです。

子煩悩な父上原健さんは、子供の健康のために良い環境に住もう、と茅ヶ崎の海の近くに引っ越します。

1歳10か月から結婚する31歳まで茅ヶ崎で過ごした加山雄三さんは、自宅が海の近くだったということもあり、海に親しむ暮らしをずっとしてきました。

高校は慶応高校を受験をして進学。

高校時代にボクシング・バンド・スキーなどをプロ級になるほどうちこんだそうです。

スキーに関しては大学時代に国体に出場するくらいの腕前になりました。

 

芸能界デビューと若大将シリーズの始まり

デビュー作

1960年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後し、春に東宝へ入社しました。

そして『男対男』で映画デビュー。

1961年には「夜の太陽」を歌って歌手としてデビューしました。

若大将シリーズ

東宝が1961年に若大将シリーズとして加山雄三さん主演で大学生の恋とスポーツを描いた映画を制作しました。

この映画の制作にあたって加山雄三さんと等身大の主人公像を作りるために加山雄三さん本人を呼んで生い立ちを聞き出したそうです。そしておばあちゃん子であったこと、一日5食も食べたとこと等加山雄三さん自身のエピソードをそのまま映画のストーリーに入れたと言います。

このシリーズは若大将シリーズは1971年までの10年間の間で17作品が作られ、東宝の中心的シリーズとなったと同時に、加山雄三さんはこのシリーズの名から、現在に至るまで「若大将」と呼ばれるようになりました。

髪型は現在とあまり変わりがないようですね。

加山雄三の歌「君といつまでも」が大ヒット

映画『エレキの若大将』の主題歌「君といつまでも」が1965年に発表されこの曲は350万枚の大ヒットとなりました。

加山雄三さんの5枚目のシングルで、レコーディングの時に編曲が気に入って嬉しくなった加山雄三さんが「いやあ、幸せだなぁ」と呟いたそうです。その言葉をヒントに台詞

「幸せだなァ 僕は君といる時が一番幸せなんだ僕は死ぬまで君を離さないぞ、いいだろ」

が間奏に収録され、このセリフは後に流行語となりました。

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若い頃から実業家として~ホテルの経営と破綻~

1965年、神奈川県茅ヶ崎市にパシフィックホテル茅ヶ崎を開業します。

ところが、1970年3月に23億円の負債を抱え倒産してしまいました。

ホテルの経営は叔父様がされていたそうなのですが、加山雄三さんが監査役になっていたことから、加山雄三さんが巨額の負債を抱えることになってしまったのです。
43億円もの届出債権。が、加山雄三さんは慶応大学の法学部の出身で会社更生法を学んでいたので、その知識が役立ちました。最終的な負債総額は23億円だったそうです。

しかし、この巨額の負債を加山雄三さんは10年間で返したそうですから、素晴らしい!

同じように借金を背負って自らの稼ぎであっという間に返したのは林先生↓
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でもこの間は大変でお金が本当に無い時は、一つの卵を分け合って奥様と卵かけご飯を食べたそうです。

海で撮られた写真でしょうか?

精悍なお顔で、夏の太陽がぴったりな感じですね。

女優と結婚 嫁は松本めぐみさん

映画を共演したことがキッカケで女優の松本めぐみさんと結婚しました。

松本めぐみさんは結婚と同時に芸能界を引退されました。

松本めぐみさんはニューヨークに住んでいるという話もありますが、そのNYの自宅は加山雄三さんが巨額の借金を返却し終えた後に余裕ができて購入した家だそうです。

仕事をしていない人がNYに永住権を取得するためには一定期間NYに住むことが必要で、奥様はそのために一年の半分くらいはNYにいるそうです。

若い頃から保有していたプレジャーボート「光進丸」

海が大好きな加山雄三さんは若い頃から「光進丸」というプレジャーボートのオーナーを長くしていました。

仕事が休みのときは「光進丸」にいる、と言われるほどこの船を愛してやまなかったのですが、残念なことに3代目「光進丸」は2018年に出火しほぼ全焼してしまいました。

この時加山雄三さんはコンサート中でした。スタッフは加山さんのショックを考えコンサートが終るまで伝えず、また直後のコンサートは中止したそうです。

加山雄三さんが後に語ったことによると、火事になった日から10日間くらい記憶がないそうです。それほどショックで寝込んで奥様が医師を呼んで点滴をしてもらったくらいだそうです。

でも最後には

「悲しいことは悲しいですけど、感謝して見送りましたから。役割を果たしてくれたし、身代わりになってくれた」

と語り、加山雄三さんのお人柄が分かる言葉だと思いました。

 

このように華やかな生活の反面お若い頃から大変なことを経験されている加山雄三さんですが、それらすべてのことが現在の加山雄三さんのお人柄を作り上げ、今でも人気の俳優さんなのだと思います。

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