アンミカの貧乏エピソード14選!極貧の住宅と食事で悲惨な幼少時代!

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アンミカさんは言わずと知れた美しいモデル出身ですが、コメンテーターとしても痛快なコメントをスパッツとしたりしてその飾らぬい人柄とセレブな人生とのギャップが愉快で大人気です。

今はセレブではありますが子供時代は貧乏な暮らしで大変ご苦労をされたようです。でもアンミカさんご自身がその貧乏暮らしの話をするとなぜか悲壮感が無く、楽しくさえ聞こえてきます。それはひとえにアンミカさんのポジティブなお人柄によるものだと思います。

アンミカさんの貧乏時代のエピソードについて。

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貧乏エピソード① 4畳一間で7人家族が暮らしていたというアンミカの貧乏時代

アンミカさんは1972年3月25日韓国の済州島で生まれ、3歳の時に大阪市の生野区にご家族でやってきました。家族は両親の他、アンミカさんと兄・姉・弟・妹の5人の子供がいました。大家族でしたが収入が少なく、アンミカさんは子供のころは貧乏で大変なご苦労をしたそうです。

そもそも住まいが普通の家とは違っていました。アンミカさんのお父さんが働いていた工場の2階の4畳一間の部屋て家族7人が暮らしていたそうです。

戦後のどさくさ、と言われる頃ならいざ知らずアンミカさんは1972年生まれ、5歳になったとして1977年かなり豊かな時代です。その時代に7人で4畳半というのは強烈です💦4畳半で多少家財道具があったとしたら布団も何枚敷けるか・・。

物心ついたときからそのような住宅状況だったので、アンミカさんは一家に一つ家玄関扉があるということを小学生になって知ったそうです。

一家につき1個、玄関の扉があるのが、小学校になって気づきました。常に他人と同じ共有の玄関で、人の部屋を通過して自分たちの部屋に入るので。

でもそのような生活が楽しかった、と言えるアンミカさんは強いなあ、ポジティブだなあと思います!

 

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貧乏エピソード② アンミカは18歳になって初めてお風呂のある家に住んだ

アンミカさんは18歳になって初めてお風呂のある家に住んだそうです。つまり、それまではお風呂に無い家だったということです。まあ、4畳半一間に間借りをしていてお風呂は付いていないことは容易に想像できます。

それまではお風呂が無かったので、時折銭湯に行くかあるいは部活でシャワーを浴びて帰ってくるか、だったそうです。真夏なんかはさぞやつらかっただろうと思います。

それにしても、現在芸能界で活躍している人の中には幼少期に貧乏で大変だった人が何人もいらっしゃるなあ、と思います。案外、そういう方がハングリー精神があって芸能界という厳しい世界で生き残れる力があるのかもしれませんね。

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貧乏エピソード③ アンミカの実家の主食はすいとんだった

アンミカさんが子供の頃の食事はすいとんが主食だったそうです。それも具の無いようなすいとんでした。すいとん、って戦時中の食糧難のときに食べたとかいう食べ物ですよね💦。

汁に浮いているので、おなか一杯になりやすいと聞いたことがあります。想像するに、すいとんならおかずは要らないでしょうから主食と言いながらそれだけだったかもしれませんね。

 

貧乏エピソード④ アンミカの家は果物は買うものではない市場に拾いに行くもの

アンミカさんの幼少期は主食がすいとん、という貧しさですから果物を買う余裕はありませんでした。

でもそこは逞しく生きるアンミカさんのご実家です。午前3時ころに子供たちは起こされて、リュックを背負って3駅先にある市場まで歩いていくそうです。午前3時、って聞いただけでつらくなりますが、アンミカさんがおっしゃるには「子供は夜更かしをするのが楽しいから」ワクワクしながら歩いていったようですよ。どこまでもポジティブですね。

そして市場に行くと、傷んで売り物にならなくなった果物が捨てられているスペースがあって、そこから果物を拾って背負ってきたリュックに詰め込んで、また来た道を家族でテクテクと歩いて帰ってそうです。

大変💦と思うのですが、でも、考えてみたら子供にとって貧しくても、自分を愛してくれる親がいてくれれば貧乏でもそこがお城かもしれません。アンミカさんがご自身の幼少期を語るとき、貧乏だった親を怨むこと無くむしろ楽し気に語るのは、きっとそのような暮らしのなかでも愛情は豊かだったのではないでしょうか。

市場でもらってきた?拾ってきた?果物は傷んだところを切り捨て、食べられそうなところをそのまま食べたり、時にはお母さんがゼリーにしてくれたそうです。手間をかけてゼリーにする、というところにお母さんの愛情を感じます。きっと貧しい暮らしの中ではそのゼリーは最高に美味しいごちそうでしたでしょうね。

貧乏エピソード⑤ 小学生6年生からアルバイトをしていたアンミカ

アンミカさんは小学6年生から高校生まで、毎朝新聞配達のアルバイトをしていたそうです。小学生が働いていいの?💦とも思いますが・・・もしかしたら新聞販売店の人が、事情を知って雇ってくれたのかもしれませんね。当時といろいろなことが今ほどは厳しくない時代でしたから。

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貧乏エピソード⑥ アンミカは歯列矯正も自力で行った

アンミカさんは永久歯が生えてきたとき前歯の間に隙間が空いていたそうです。アンミカさんの家には歯列矯正をするようなお金がありません。歯列矯正は大袈裟でなく100万円かかると言われていますからね💦

するとアンミカさんのおかあさんに、子供の骨は柔らかいから自分で指で押さえていたら治るよ、と言われてご自身で歯をくっつけるように押さえていたそうです。するとある日ピッとくっついた、というのです。

す、すごい!

 

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貧乏エピソード⑦ アンミカが鼻を骨折しても病院に行かずに治した

アンミカさんはある日兄妹喧嘩をして鼻を骨折してしまいました。ところがお金がないアンミカさんの家は病院に行くことができませんでした。

普通女の子が鼻を骨折したら親は慌てて何とかしてお金を工面して病院に連れて行くと思うのですが、アンミカさんのおかあさんはそうはせず、病院に行って先生を外に呼び出しました。お金がないので診察は受けられません。自宅での治し方を教えてください。とお願いしてその教わった方法で実際に治したというので驚きです!

その鼻の骨折を自宅で治す方法とは・・・割り箸を鼻の中に突っ込んで、そして外側からも割り箸を当てて骨を元の位置に戻して治す・・・という聞いただけでゾクッと痛くなるような方法です。それで治るのか?という気もするのですが、今のアンミカさんを見てわかるとおり綺麗な鼻に治っています。人間の身体ってすごい💦

このように、鼻を骨折しても病院に行けないくらいですから、アンミカさんのご家族は皆さん丈夫に育ったでしょうね。

貧乏エピソード⑧ アンミカはスイカの種も皮も無駄なく使う

アンミカさんの家ではたまに「スイカ」をいただいて食べられる日があったそうです。そのスイカは貴重品で、食べた後の種も皮も無駄にしませんでした。スイカを食べた翌日は種はしゃぶっていれば大好きなスイカの味を楽しめるので「飴」の代わりに舐めていました。そしてスイカの皮を使って体を洗っていたそうです。

その知恵に驚きますね~!

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貧乏エピソード⑨ アンミカの実家のテレビは拾ってきたものだった

アンミカさんが幼少時代の実家のテレビは拾ってきたものだったそうです。拾ってきたもの、ということは要はゴミとして出されたもので、どこかが壊れていたり、古かったりするわけですが、拾ってきたテレビはチャンネルを変える機能が壊れていたようです。

当時はチャンネルを「回す」と言っていたのですが、まさにチャンネルを変えるためのダイヤルのようなものが付いていました。

そのダイヤルが壊れていて、ダイヤルがあるべきところから棒がが出ていてダイヤルがありませんでした。その棒でどうやってダイヤルを変えるか?というとその棒をペンチでつまんでチャンネルを変えるそうです。

電化製品ですからちょっと危険な気がしますが・・・💦

 

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貧乏エピソード⑩ アンミカの家族旅行は大坂環状線周遊!?

アンミカさんの実家では「大阪環状線」をただひたすら乗って楽しむのが家族旅行だったそうです。内回りだけでは飽きるので次は外回り、という感じで、外の景色を楽しんだとか。まあ、普段電車に乗らない子供にとっては電車に乗る、というだけで特別な日常ですよね。

今の時代はなかなかそれも厳しくなっていますが、当時は入場券があればそれも可能なある意味のんびりした良い時代だったかもしれません。

そのご家庭で育ったアンミカさんは成人になってからは世界を舞台にモデルとして活躍したのですから見事なものです。

貧乏エピソード⑪ アンミカが生まれて初めてハンバーグを食べたら驚いた胃が受け付けなかった

アンミカさんが小学2年生の時に親戚のおばさんがハンバーグを作ってくれて、生まれて初めてハンバーグを食べたそうです。大喜びでハンバーグを食べたのですが、そんなに栄養価の高いものを食べたのが初めてだったせいか、胃が受け付くてくれずに戻してしまったそうです💦

人間ってそういうものなのですね💦

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貧乏エピソード⑫ 自宅が2回火事で焼けてしまったアンミカの実家

アンミカさんのご実家が人並の暮らしができるようになったころ、ラーメン屋さんを始めました。1階がラーメン屋さん、2階が間借りで住まい。ある日、アンミカさんが小学校から自分の家の方を見たら火が上がっていたそうです。「わあ、燃えてる!」と思ったらその燃えている家はアンミカさんの家だったというスゴイ話です。

その時アンミカさんのご両親は親戚のご結婚式に出かけていて、紅白満饅頭を持って帰ってきたら我が家が火事になっていたという悲惨な出来事です。

仕方なく紅白饅頭はみんなで食べたそうです。。。自宅が火事になって紅白饅頭を食べる気持ちってどんなでしょうね💦

貧乏エピソード⑬ 穴のあいたパンツに名前を書かされたアンミカ

これは学校の先生が悪い!と思うのですが、アンミカさんが小学生のころ穴のあいたようなパンツに名前を書かされたそうです。

これは有る俳優さんが林間学校に行ったときパンツの忘れ物があって、翌日教室で全員の前で見せられて忘れたのは誰だ~!となって自分のものなので取りに行って恥ずかしかった、という話をしたところ、アンミカさんも同じような経験があったことを打ち明けたのです。

いつもは貧乏に対してポジティブなアンミカさんもこれには「子供心に傷ついた」とおっしゃいました。

先生はこの辺りは絶対に配慮すべきですよね。

貧乏エピソード⑭ パンの耳で作ったアップルパイがアンミカ幼少時の御馳走!

アンミカさんにとって子供時代の思い出の味はお母さんがパンの耳で作ってくれたアップルパイだそうです。「美味しかったですよ~」と振り返っていらっしゃいます。

パンの耳でどうやってアップルパイを作るんだろうか!???と思いますが、おかあさんはきっとお料理上手で、ある材料でいろいろ工夫されて美味しいアップルパイを作られたんでしょうね。お母さまも子供への愛情を感じますし、またアンミカさん並みのポジティブさと賢さも感じます。

アンミカが貧乏時代を楽しかったと言える理由は?

以上のように、アンミカさんは今は紛れもなくセレブでいらっしゃいますが、幼少時は大変貧乏でした。でもその貧乏を卑下することなく「楽しかった」とおっしゃっています。極貧というくらいの貧乏生活を「楽しかった」とアンミカさんはなぜ言い切れるのか?その理由を考えてみました。

第一にアンミカさんがポジティブであること。これはテレビに出ているアンミカさんを見ていると紛れまなくポジティブさを感じます。

第二にアンミカさんが現在成功して裕福になっていらっしゃること。極貧から今のセレブに上り詰めるのは相当な努力があったことと思います。その努力とそれに見合った成功が、アンミカさんをより一層輝かせ、昔の貧乏だった時代をハングリー精神に変え成功のステップを昇っていったご自身を誇りに思っていらっしゃるのだと思います。

 

このようなご苦労された時代があったことを知ると、アンミカさんに今まで以上に好感度を持てます。安穏とセレブになったわけではなかったのだ~と思います。

これからもアンミカさんのお話を楽しみにしています!

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