デヴィ夫人の娘‶カリナ・サリ・デヴィ・スカルノ″はデヴィ夫人とスカルノ元大統領との間に生まれた女性です。
以前、デヴィ夫人とご一緒にTVに出演されたときはエキゾチックなお顔立がとても美しいことで話題になりました。
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カリナさんとデヴィ夫人は一時意思の疎通がうまくいかなかった時期もあったようですが、今はお互いに行き来をする良い関係にあるようです。そのきっかけはカリナさんのご結婚と出産にあります。
カリナさんの旦那様はどのような方でお子様、デヴィ夫人にとってはお孫さんについて調べてみました。
娘カリナさんの誕生とデヴィ夫人との確執
カリナさんの誕生
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デヴィ夫人は1962年(昭和37年)にスカルノ大統領と正式に結婚、4人の夫人のうちの第3夫となりました。
1965年にインドネシアでクーデターが起こり、スカルノ大統領は亡命をせざるを得なくなりました。そのためデヴィ夫人は母国日本に帰国して出産をすることになったのです。
デヴィ夫人25歳の時に出産され、その時次のように報じられました
1967年(昭和42年)3月11日、デヴィ夫人は都内病院にて娘のカリナを出産する。
正式名は「Kartika Sari Dewi Soekarno. Kartika Sari」。
スカルノ大統領の8番目の子供であった。
出産後、デヴィ夫人と娘のカリナさんはフランスに渡りフランスで暮ら始めます。
デヴィ夫人とカリナさんの確執の原因
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クーデターが起きて3年後、スカルノ大統領は虹の橋を渡られました。
このことから、デヴィ夫人は財産分与等のために一時インドネシアに移住することになりました。
しかし、まだ治安の悪いインドネシアにまだ子供のカリナさんを連れていくことはできずにフランスに残していくことになりました。
デヴィ婦人がカリナさんの身の安全を最優先にしての苦渋の選択です。
母としての愛の形だったのです。
が、まだカリナさんは子供だったため事情を十分に理解することができず、慣れない外国に置き去りにされた、と誤解しそう思い込んでしまいました。
その不幸な誤解がその後数年に渡ってデヴィ夫人とカリナさんは交流を絶つことになったのです。
カリナさんは成長し、ボストンの大学に進学し、デヴィ夫人は二人で暮らせるようにと新居を用意したのですが、カリナさんはそれを断ってしまいます。
それほどまでに二人の間の溝は深かったのです。
娘カリナさんと不仲の解消は孫の誕生のおかげ
カリナさんの結婚相手
2005年、カリナさんはアメリカの大手金融機関シティバンクの欧州中近東アフリカ地区のCEO最高責任者フレデリック・F・シーガス氏とご結婚されました。
この結婚式の時、お母様であるデヴィ夫人はゲストとして招待されたと言われています。
母親としての結婚式への出席をカリナさんは認めなかったのです。
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カリナさんとの不仲の解消は孫の誕生がきっかけ
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しかし、その母子の確執もあることによって解決することになりました。
カリナさんにとっての息子キラン(Kiran)くんの誕生です。勿論、彼はデヴィ夫人の孫にあたるわけです。
キランくんの誕生によって母と子のつながりを取り戻したデヴィ夫人とカリナさん。
今は、お互いを行き来する良い関係になりました。
デヴィ夫人がキラン君に初めて会ったときの思いをつぎのように語られ、その愛情の深さがうかがえます。
Kiranが生後1ヵ月位の時、ロンドンで初めて会った時の私は驚きを隠せませんでした。それは彼の目が赤ちゃんの目ではなかったからです。
例えるなら古典絵画のイエズス・キリストの目のようだったのです。
波乱万丈の半生を過ごされたデヴィ夫人にとってキラン君とカリナさんとの交流は何にも代えがたい幸福なひとときになられていることと思います。