赤楚衛二さんは今大人気の俳優さんですね。「彼女は綺麗だった」では主役ではないのに圧倒的存在感で毎回赤楚衛二さんのお名前がトレンド入りするほど話題になっています。
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その赤楚衛二さんの父親は実は言語学者で名古屋学院大学の学長です。そんなに固い職業のご家庭で育って赤楚衛二さんはよくぞ俳優の道に進めましたね。ご両親は反対されなかったのかしら?と思いました。
赤楚衛二さんのお父さんについて。
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赤楚衛二の父親の職業は名古屋学院大学の学長
<引用元 https://lifenews-media.com/>
上の写真は赤楚衛二さんお父さんです。さすがに理知的な紳士で、そして赤楚衛二さんはお父さんに似ていらっしゃると思いました。
赤楚衛二の父親である赤楚尚之(あかそなおゆき)さんは1959年生まれ大阪の守口市の出身です。同志社大学大学院文学研究科英文学専攻博士課程前期終了して言語学者となりました。
そして赤楚衛二の父親は、1989年から名古屋学院大学で外国語学部専任講師となり大学生に英語を教えていました。
1995年ににアメリカのウィスコンシン大学に留学をしています。赤楚衛二さんは1994年生まれですから、3歳までははお父さんの留学に付いて行ってアメリカで暮らしていた時期があったのです。
そして赤楚衛二さんのお父さんは1999年には名古屋学院大学の外国学部教授→外国学部長→大学院外国語学研究科長→学生部長となり2020年4月からは名古屋学院大学学長に就任されました。
名古屋学院大学のHPに掲載された学長挨拶 赤楚衛二の父親の動画
名古屋学院大学のHPに赤楚衛二さんのお父さんが学長として挨拶をしている動画が掲載されていました。赤楚衛二さんのお父さんのお話する様子が見られますよ↓
さすがに赤楚衛二の父親は理知的な紳士ですね!赤楚衛二さんは顔も声もお父さんに似ていっしゃると思いました。
大学の学長にこんな言い方は失礼だと知りつつ・・・。赤楚衛二の父親は年齢を重ねてこれだけかっこいいのですからお若い頃はさぞやイケメン!と思います。
赤楚衛二の母親はピアノの先生
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赤楚衛二さんのご実家は父親と母親そして弟さんの4人家族で、赤楚衛二の父親は大学の学長、お母さんはピアノの先生をされています。そして赤楚衛二さんのお母さん赤楚早苗さんは関西のお嬢様大学金城学院大学の出身でいらっしゃいます。さぞや素敵なお母さんなんだろうと思います!
お父さんは大学の学長でお母さんはピアノの先生と聞くと・・
もし自分が付き合った彼氏がそのような家柄のご家庭で育った、としたら一般人は結構ビビります・・・。
赤楚衛二さんはおかあさんの影響で3歳の時からピアノを習い中学生まで続けていたようで、ピアノが得意でした。そして学校の合唱祭のピアノ伴奏などをしたこともあったそうです。
厳しく育てられた赤楚衛二の幼少期
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ご立派なご家庭で育った赤楚衛二さんは、小さい頃からご両親から「勉強しなさい」と言われていたそうです。まあ、この家庭環境ですから、それは特別なことではなく、ごく普通にそうなのだと思います。お父さん学者ですから!
が、面白いことに赤楚衛二さんの弟さんは割と自由なタイプだったようです。そのことを赤楚衛二さんは次のようにおっしゃっています。
僕の両親はわりとスパルタ教育で厳しくて、僕は本当にやりたいことにふたをし続けていた時期がありました。
でも弟は「やりたいことをやるんだ」と突き抜けていた感じだったので、そういう弟がちょっとうらやましくもありました。
私も3人の子育てをしてみて思うのですが、同じ環境で育ててもどうして長男と次男はこうも差があるのかと不思議です。勿論すべての家庭がそうだとは言いませんが、どちらかというと長男は真面目過ぎる傾向があって次男は自由奔放な傾向がある、というのが多くのパターンのような気がしました。
これは自分の子育てを振り返って、長男は最初の子育てで親も真面目に理想の子育てをしてあげようと意気込みます。でも2人目が生まれると忙しさに拍車がかかり理想なんて言っていられず「怪我しないで健康であればいい。」と思い始め、3人も生むと「多少怪我や病気をしても治るからダイジョブ」くらいになっていくものです。
すると兄弟同じ環境と言いながら、同じ環境ではなく下に行けば行くほど自由でおおらかになっていく・・・という私の持論がありますが、いかがでしょうか・。
そして赤楚家でもそうだったのではないかと思う次第です。
赤楚衛二、父親、弟の3人でカブトムシをとりに言った時のエピソード
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赤楚衛二さんは小学生の低学年の時に赤楚衛二の父親と弟さんとカブトムシをとり行った時の思い出を面白おかしく次のように語っています。
小学校低学年の赤楚と赤楚の父、弟と三人で尾張旭市の森林公園にカブトムシを取りに行ったという。
赤楚は当時の様子を「カブトムシって中々見つからないんです。森の深い所まで行っても一匹も見つからず、、、父が「取れへんなぁ。帰ろかぁ」と 言ったその時!!!!!
近くで 「ブォーーーー!!!ブォーーーー!!」と何かの鳴き声がしました!!!
赤楚家男児は大パニック!一斉に車に逃げました!!!」と綴り、さらに、その時の心境も「そりゃ一番早いのがおとんで 遅いのが弟 父の足の速さに泣きそうになり、弟の足の遅さに安心を覚えた、安心と恐怖が僕の心で渦巻いてました
まだ小学生の低学年の2人の子供おいて一目散に逃げだすお父さん・・・・赤楚衛二の父親、面白過ぎです~!一番小さくて一番遅い弟さんが泣きながら走っていく姿が目に浮かぶようです(笑)
赤楚衛二の父親は休日は楽しくて友達から人気だった
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平日はスパルタ教育で厳しく育てられた赤楚衛二さんですが、休日のお父さんは公園でキャッチボールをしたり仮面ライダーごっこやウルトラマンごっこに付き合ってくれました。そんな時、赤楚衛二の父親は必ず仮面ライダーやウルトラマンの敵役でした。
そして赤楚衛二さんのお友達が遊びに来るとプールや銭湯に一緒に連れて行ってくれたり面白いギャグを言って赤楚衛二さんの友達を笑わせたりと赤楚衛二の父親は人気者だったそうです。
赤楚衛二の父親は映画好き!
赤楚衛二さんのお父さんは映画好きなようで、赤楚衛二さんが小学生のときは月一回、父親と母親と弟と赤楚衛二さんの家族4人で、お父さんが選んだ映画を見に行くという習慣があったそうです。
月1回というのは結構頻繁だと思いませんか?普通は、話題作が出て、中でも自分の見たいものが有るとき、ですから数か月に一回あるかどうか、かと思います。赤楚衛二の父親はよほど映画がお好きなのですね。
ジャンルはSFあり、コメディあり、多岐にわたっていたそうです。これは家族のイベントとしてとても良いですね。見終われば、見た感想なども語り合うでしょうし。さすがによいご家庭ですね。
赤楚衛二さんは幼い頃、この月に一回家族で映画を見に行った経験から映画の世界に触れてみたい、という思いが生じたそうです。映画、というものが赤楚衛二さんの極身近にあったのですね。
そして長じてみて、赤楚衛二の父親が映画好きだったので、赤楚衛二さんの芸能界入りを反対しなかったのではないか、と赤楚衛二さんはおっしゃっています。
高校生のときから芸能活動をしていた赤楚衛二
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赤楚衛二さんは中学受験をして中高一貫校に入学をしました。が、引っ越しをしてストレートでそのまま高校にストレートで進むことができなくなってしまいました。
そんな学者の家庭で育った赤楚衛二さんですが高校生のときから芸能活動をしていました。芸能活動をしながらも、赤楚衛二の父親は勉強面では厳しく課題が終わるまで遊びに行ってはだめだという指導はずっとしていました。その結果赤楚衛二さんは高校一年生の時には高校卒業のレベルまで勉強を進めていたそうです。
お前将来はどうするんだ?と赤楚衛二に聞いた父親
高校生の時から芸能活動をしていた赤楚衛二さんですが、実際はなかなかお仕事に恵まれなかったそうです。
そんな時赤楚衛二さんのお父さんは赤楚衛二さんに言いました。
「おまえ、将来はどうするんだ?」
ここで素晴らしい、と思うのが、こうしなさい、と指示するのではなく、どうするんだ?と本人の意思を尊重するところです。やっぱり親としてはこうでなければだめですよね。
その後赤楚衛二さんが19歳でサマンサタバサのモデルのオーでディションに合格し、大学を中退して東京の芸能事務所に所属することに決めたときは
「おまえがやりたいことを見つけたなら、それでいい」
と応援してくれました。そう聞くと、赤楚衛二さんのお父さんはもろ手を挙げて賛成してくれたように聞こえますが、内心は赤楚衛二の父親は赤楚衛二さんには英語の先生語学の道に進んで欲しかったそうです。
それでも子供が自ら選んだ道を尊重するのが本当に素晴らしいお父さんだと思いました。
私だったらきっと、大学を卒業してからにしなさい、と言ってしまいます・・・。
赤楚衛二の父親は吉川晃司のファンで撮影現場に行きたかった!
赤楚衛二さんのお父さんは吉川晃司さんのファンで、赤楚衛二さんが子供のころから一緒に吉川晃司さんのDVDを見ていたそうです。赤楚衛二さんもお父さんの影響でやはり吉川晃司さんのファンになりました。
そして赤楚衛二さんが吉川晃司さんと共演するということを赤楚衛二さんのお父さんに告げると阿藤さんは
「撮影現場の場所教えてくれ」
とおっしゃったそうです。赤楚衛二さんはお父さんを連れて行くわけにはいかないので、ダメだと断るとじゃあテレビでみるよ、と不服そうにしていました。
赤楚衛二さんのおとうさんかわいい!
いよいよ赤楚衛二さんがお仕事で吉川晃司さんと共演するときに、ファン目線になって緊張してしまい「よろしくお願いします」の一言しか会話できなかったとか。
赤楚衛二の父親のまとめ
赤楚衛二さんの父親は言語学者で名古屋学院大学の学長でいらっしゃいます。
ご長男である赤楚衛二さんにはご自身と同じ言語学の道に進んで欲しかったと内心は思われていたようですが、赤楚衛二さんが芸能界の道に進むときめ、大学を中退したときは「おまえがやりたいことを見つけたなら、それでいい」と言って応援してくれたそうです。
私も親の立場なのでその一言を言うことがどれほど難しいことかわかります。本当に素晴らしいお父さんだと思いました。
そして名古屋学院大学の学長挨拶で赤楚衛二さんのお父さんがお話されている様子を見るとイケメンな赤楚衛二さんはお父さんに似ていると思いました。