ミッツ・マングローブの父の仕事は?女装家の活動に理解あるエリート!

芸能人

タレントとして、そして女装家として活躍中のミッツ・マングローブさん。

その生い立ちがセレブで素晴らしいという話は有名です。そういえば、ミッツさんの英語力も素晴らしい、と聞いたことがあります。

また、徳光和夫アナは叔父さんに当たるそうです。

どのようなセレブなご家庭で育ってきたのでしょうか。

その生い立ちとご両親のミッツさんにたいする個性の尊重について調べてみました。

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ミッツ・マングローブさんの生い立ち

 

ミッツ・マングローブさんの出身校

ミッツ・マングローブさんの本名は徳光 修平(とくみつ しゅうへい)さん1975年4月10日 生まれ。

お父様のお仕事の都合で小中学校をロンドンで過ごされました。

そして帰国後受験をして慶應義塾高等学校に入学。

大学は慶應義塾大学法学部政治学科に進み、卒業後は

ウエストミンスター大学コマーシャル・ミュージック学科へ留学しました。が、2年で中退。

ロンドンで暮らしていたので、勿論英語は堪能だそうです。

こう見るととても偏差値の高い学校を卒業された才媛なのですね。

 

ミッツ・マングローブさんのご両親の仕事について

 

ミッツ・マングローブさんのお父様の仕事

ミッツ・マングローブさんのお父様のお仕事は伊勢丹で宣伝・広告を担当され後に英国伊勢丹の初代社長、新宿伊勢丹の次長を務めれられたエリートなのです。

その後は2010年にはチェルシー取締役会長、大沢商会グループ取締役。
2015年まで日本オイスター協会理事長を務めました。
現職はモノコトコネクション代表取締役、大沢商会顧問でもあります。

お父様のお仕事の関係でミッツさんは小学・中学生をロンドンでお過ごしになったのですね。

のちにミッツさんは

子供の頃(小学5年~中学までロンドンの日本人学校在学)からいたので、イギリスは私にとっては旅行気分で行く場所ではないんです。里帰りなんです。

とおっしゃっていました。

多感な時をイギリスで過ごされ、ミッツさんにとってはそれがとても心地よく、「イギリス」は「行く」ところではなく「帰る」ところ、とおっしゃるスケールが本当に素敵です。

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ミッツ・マングローブさんのお母様

お仕事

ミッツ・マングローブさんのお母様は子供が生まれるまでは博報堂のコピーラーターをしていたそうです。天下の博報堂のコピーライター、かっこよすぎです!

お母様のセンス

このお母様の逸話がとても面白く、さすがミッツさんを生んだお母様だなあ・・と思ったりしました。ミッツさんのお話では・・

お母様は正しい間違っている、という線引きで子育てをしませんでした。自分の世界観や価値観で子供に接してきたそうです。叱るのではなく「あたしそれ嫌いだわ~」と言うのです。

この「あたしそれ嫌いだわ~」は子供心にすごくセンスを否定されてダメージを受けるのだそう。

例えば弟をいじめてお母さんに「ダメでしょ」といわれるより「あたしそういう男嫌いだわ」とピシャリと言われたら・・・。もうやらなくなりますね。なかなかすごい子育てです。

そして、これはマジ半端ない、と思った話が「幼稚園の遠足の水筒」です。ミッツさんが幼稚園の遠足に行くとき持って行く水筒をお母様が用意してくれたのですが・・・。普通幼稚園児の水筒って、まあ大抵はアニメのキャラの絵が描いてありますよね。

ところが、ミッツさんのお母様が用意したのはアルプスの少女ハイジのおじいさんがもつような、スイスの人が「パホーン」って吹くような形で、水牛のバックスキン革のカバーが付いているものだったそうです。

幼稚園児のミッツさんが「それは嫌だ」というと『何を言ってんの。は〜っ! わかってないねえ、これが一番カッコイイんじゃないの』とおっしゃるようなお母様だそうです。

個人的には。。。こういうお母さん、好きだわぁ。

徳光和夫アナはミッツ・マングローブさんの叔父様

フリーアナウンサーの徳光和夫さんはミッツさんの叔父様にあたります。
CMなどでも共演をしています。

ちなみに、ミッツさんのおじい様、徳光 寿雄さんは映画監督、であり実業家。でもありました。

 

ご両親の個性に関する持論

 

ミッツさんから見たご両親

ミッツ・マングローブさんはご両親について「個性に関する持論がある」とおっしゃっています。

『大人が尊重し、育てなきゃいけないほどの個性は、個性じゃない』って言ったことがあって。大人が無理くり伸ばすような個性は個性じゃない。しょせん消える。それは(両親が)わたしを見てるから。いま考えると、抑えようとしても出てきちゃう個性が自分の息子にあったから、そう思うのかなって

 

ご両親から見たミッツさん

ミッツさんは英国から帰国した後「作詞作曲」をしたいと思っていましたが、なかなか芽が出ませんでした。

お父様はそんなミッツさんの様子を見て、ミッツさんにデモテープを作らせ、人脈を活かして著名な作曲家に渡したものの、その後反応が無かったそうです。

その後、ミッツさんは通訳のアルバイトをしながらショーに出演するため女装して毎晩出かけていきました。そんなミッツさんを見てもお父様は驚きませんでした。

それはミッツさんのお父様が長年デザイナーたちと仕事をしてきてそういったことへの違和感や偏見が無いためだそうです。

ミッツさんの個性を無理なく尊重して認めることができるのは、ご両親がロンドンで過ごされた体験が大きいようです。

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