岡本碧優(みすぐ)の育て方!下宿先 笹岡拳道コーチの実家の育成法!

スポーツ

岡本選手は東京五輪で4位入賞となりました。

おめでとうございます!

ご本人はメダルを目指していたので最後泣きながらのインタビューでしたが、しっかりと受け答えをして立派でしたね。わずか15歳。きっちりと人間性も教育された周りの大人の方の思いが岡本碧優選手を通じて感じられました。

12歳で親元を離れてコーチの実家に下宿をしている、という大変な努力家です。ご本人は勿論、手放した親御さん、そして引き受けたコーチのご実家。皆さまの思いがオリンピックに凝縮されましたね。

立派で清々しかったです!

その岡本碧優選手はどのように育てられたのか、そこにフォーカスしました。

 

 

岡本碧優選手は現在中学3年生15歳ですが,すでにプロのスケートボーダーです。

そして岡本碧優選手は世界選手権でも優勝する、誰もが認める世界ランキングNo1の実力の持ち主です。わずか15歳にして世界の頂点に上り詰めるには、相当な努力があったと思います。

そしてその岡本碧優選手のコーチは笹岡拳道(けんと)さんです。

岡本碧優選手はわずか12歳で、親元を離れて笹岡拳道コーチの実家に下宿しスケートボードに打ち込んでいます。

親も子も、そして預かる側のコーチの実家も半端ない覚悟だったと、親の立場の私には容易の想像ができます。

一体どのようないきさつでそうなったのか、岡本碧優選手のこれまでについて調べてみました。

Sponsored Link

岡本碧優がスケボーをはじめたきっかけは兄についてスクールに行ったこと

 

 

この投稿をInstagramで見る

 

Misugu Okamoto(@misugu0228)がシェアした投稿


岡本碧優選手は8歳の時お兄さんの影響でスケボーを始めました。愛知県あま市にある「Hi―5スケートボードスクール」に通い始め、ここで現在岡本碧優選手のコーチをしている笹岡拳道さんに出会いました。

このスクールは笹岡家が主宰するスクールです。

Sponsored Link

岡本碧優のコーチ笹岡拳道の実家笹岡家はスケボー一家

現在岡本碧優のコーチをしている笹岡拳道さんの一家はスケボー一家としてスケボー界ではその名をとどろかせています。

父親である笹岡賢治さんが総監督で長男笹岡拳道さん、次男笹岡堅志さん、三男・笹岡建介さん、が全員スケボーの選手で全員がスケボーのプロのライセンスを持っているのです。そして後進の育成のために笹岡家はスクールを主宰しています。

父親の笹岡賢治さんは大阪出身でスケボーを始めたのは1970年代でした。このころはまだ日本にはスケボーは普及しておらず、パークも日本に数個しかなかったそうです。ボードも高価で探すのさえ大変な時代でした。そんな時代でも笹岡賢治さんは全日本のジュニア王者となったのです。言ってみれば、日本のスケボーの先駆者でもあるのです。

笹岡家の長男である笹岡拳道(けんと)さんは最初スノーボードに打ち込み、スケボーはその練習の一環としてやる程度でした。あくまでもスノーボードがメインだったのです。しかしお父さんのボードを使って練習するうちにスノボートスケートボードの比重が逆転しました。

笹岡家の次男である笹岡堅志(けんし)さんのスケボーを始めスタイリッシュな技にこだわる実力で、全日本大会で上位に入りました。

笹岡家の三男である笹岡建介(けんすけ)さんも5,6歳のころからスケボーを始めました。16歳で出場したプロツアーでいきなり優勝、そして今回東京五輪のスケボーの代表選手に選出された、といえばその実力もわかるというもの。

3人がスケボーを始めたときはまだ地元の岐阜ではスケートボードを本格的に練習できる場所がありませんでした。そのため当時は学校が終わると毎日父親の笹岡賢治さんと一緒に愛知・小牧市のパークまで通ったそうです。そしてそこで3人は夢中になって滑り続けました。

やがて3人兄弟はプロになりたいという希望を持つようになり父親の賢治さんは基礎から高難度までの技を教え込んだのです。

そうして3兄妹は全員がプロのライセンスを取り、コンテストでも皆上位の成績を収めスケボー界で笹岡兄弟の名がとどろいたのです。

Sponsored Link

岡本碧優と笹岡拳道コーチとの出会い

 

 

この投稿をInstagramで見る

 

Misugu Okamoto(@misugu0228)がシェアした投稿

岡本碧優さんが通い始めた愛知・あま市の「Hi―5スケートボードスクール」は実は笹岡家が主宰するスクールなのです。

岡本碧優さんはそこでスケボーを習ううちにそのたぐいまれなセンスを見込んだ笹岡拳道コーチに声を掛けられました。

「女の子なら、世界で戦える可能性はあるよ」

その言葉がきっかけで岡本碧優選手はスートボードにのめりこむようになり小学6年生の時世界選手権では5位入賞を果たした。2018年のことでした。

そしてこれがきっかけで、もっとうまくなりたい!と強く思うようになった岡本碧優選手は世界選手権のあった2018年の12月から親元を離れて笹岡家に下宿をしてスケートボードにまい進するようになったのです。

スケートボードで世界を目指すにはこれ以上の環境はない、というベストな環境です。

そこに飛び込んだわずか12歳の岡本碧優選手。そして我が子を信じて手放したご両親。また、大変な覚悟を持って受け入れた笹岡拳道コーチのご実家。本当に素晴らしい!と思います。

Sponsored Link

岡本碧優選手がコーチの実家笹岡家に下宿する条件はバックサイド540を中学の進級までに成功させること!

 

 

この投稿をInstagramで見る

 

Misugu Okamoto(@misugu0228)がシェアした投稿


岡本碧優選手が笹岡家に下宿するにあたって一つ条件がありました。

「バックサイド540(ファイブフォーティー)中学までの進級までに乗ること」

笹岡コーチの話によると

「世界を目指すのなら、540は絶対。(中学までの)進級までに乗れなかったら無理」

なのだそうです。

これは、空中で斜め軸で体を一回転半させるという、女子で成功させた例はほとんどない大技です。

岡本碧優選手は小学6年生の3学期に岐阜の学校に転校し、それからは学校から帰ると一日4時間の練習を毎日続けました。そしてついに「540」を成功させたのです。

 笹岡賢治さんは岡本碧優さんのことを次のように言っています。

「毎日のように泣いていたね。怖いし、コケたら痛いやろうし…。根性はある。よう頑張ってると思う。13歳の子が親元離れて来てるわけやから」

Sponsored Link

 コーチの実家笹岡家ではスケートの技だけでなく岡本選手の人間性も育成する!

 

 

この投稿をInstagramで見る

 

Misugu Okamoto(@misugu0228)がシェアした投稿

そして10代の子を預かるにあたって、教えるのはスケートボードのみで無く、挨拶や礼儀も叩き込んでいるそうです。

一つ屋根の下で暮らす以上、妥協はなく、人間性も磨くように教育されています。

「人に愛される選手になってほしいなあ。成績が残っているからという理由だけで声をかけられるのではなくて、たとえ成績が残らなくても、碧優、碧優って言うてもらえるようになってほしいんですよ…」

まるで、本当の親御さんです。

 

まとめ

岡本碧優選手はわずか12歳の時に親元を離れ笹岡拳道コーチの実家に下宿をしてスケートボードにまい進してきました。

学校の寮ならいざ知らず、コーチの実家というのは個人の自宅であるわけで、それはわずか12歳で行く本人も、手放す親御さんも、そして受け入れるコーチの実家も生半可なことではないな、いったいどんな事情があるのだろうかと思って調べてみました。

すると岡本碧優選手はだれよりもうまくなりたいという気持ちがあり、またコーチはこの子なら世界に通用すると思い、そしてコーチのお父さんはスケボーの先駆者であり、岡本碧優選手を人として立派に育てる、という気持ちでこの環境が作られたということがわかりました。

他の人にはできない努力をしてきた岡本碧優選手のご武運を祈ってます!

 

Sponsored Link
タイトルとURLをコピーしました