かつて、モデル兼セレブタレントとして大活躍をしたマリエさん。父親がフランス系カナダ人で自動車用オイル輸入代理店の元社長として『石油王』と呼ばれた人。そして、母親が日本人の客室乗務員。正真正銘のお嬢様として一世を風靡した時代がありましたね。
でもある時、マリエさんの発言が問題視され炎上。すっかり表舞台から姿を消した感がありました。
ここにきてかつての芸能界をめぐって残念な告発が・・・。真偽のほどはさておき、マリエさんって今現在どうしてるの?かなり気になってきました!
アパレル会社PASCAL MARIE DESMARAIS(パスカルマリエデマレ)」を立ち上げていた!
2017年6月、マリエさんはファッションを扱うオリジナルブランド「PASCAL MARIE DESMARAIS(パスカルマリエデマレ)」を立ち上げていました。販売する1枚13,800円というTシャツは、72枚の限定販売でしたが、わずか5分で完売したそうです。
PASCAL MARIE DESMARAISの商品はマリエさんが直接話をして価値観があってお互い理解しあって仕事を依頼した工場そして職人だけが作る、というこだわりようです。
そしてそのコンセプトは
「大手アパレルメーカーには出来ないことをしていこうと思いました。例えば、捨てられていくジビエの皮を全部請け負って商品にしようと。大手だと傷物を扱うことがそもそもタブーなんです。“傷”を追った野生動物の皮はそれ自体がキレイなものではないとみなされ、捨てられていく。ゴミになっていく。でも私は逆に、その“傷”を“美しい”って思うんです。革の傷はその生き物が生きてきた証。それを美しいって言える社会って素晴らしいのではないか。そんな提案をファッションでやっていこうと考えたのです」
だそうです。
正直、利益はどれくらい上がっているのだろうか?と思ったりもするのですが、マリエ、という付加価値もあり結構いい感じで売れているようですよ。そして何より、その価値観に共感する人たちと理想と理念を追求する姿は、若い頃セレブタレントとして売れていたころよりも一本芯が通った暮らしのように見えます。
パスカルマリエデマレはマリエさんの信念の具現化
マリエさんは留学から帰ったあと4年の年月をかけて構想を練りご自身の信念をデザインしたのがパスカルマリエデマレと言っていいかもしれません。
マリエさんはご自身をブランドを次のようにおしゃっています。
本当に私たちが作りたいものを時間とお金をかけてつくる。自分の本当に追求するもの、環境にもやさしい、すぐに無駄にならない商品をつくる。日本にはないブランドだと思っている。
パスカルマリエデマレのアトリエとデザイナーは?
パスカルマリエデマレのアトリエは東京の中野にあります。
そしてそのアトリエでマリエさんご自身がデザイナーとして商品のデザインをしていらっしゃいます。
パスカルマリエデマレの商品は余計なものは省いて作る
マリエさんの信念に沿って、なるべく余計なものは省いて作っています。当然付いていいるものが本当に必要かどうかと疑うところからスタートしているそうです。たとえば、サイズのタグ、洗濯表示のタグ、下げ札もありません。プリントの素材も環境に配慮されて物を使っています。洗濯表示のタグ、などは私は「付いていて当然」と思っていました。でも、正直、そのタグが素肌にあたるとチクチク痛いので、私はタグと本体ギリギリのところでカットしています💦。ついていないほうがありがたい!
<F.M.J.magazine> より引用
パスカルマリエデマレの商品の生地メーカーが一流
マリエさんは余計なものは省いてつくる、と書きましたが、それではなんだか節約しているだけのように聞こえますがそうではありません。最も大切な素材には一番こだわっていて
生地メーカーの老舗「エイガールズ(A-GIRL’S)」や、小野莫大小工業をはじめ、ニューヨークのプリント工場「ルックステュディオ(LQQK STUDIO)」やイタリア「ラッカーニ(Lanfranchi)」社のファスナーなど、国内外の屈指のメーカーやファクトリーと協業。
しているそうです。だからこそ着心地が良いのでしょうね~!
東京では売らない。地方でしか買えないブランド
そしてパスカルマリエデマレは売り方にもこだわりがあって、東京では売らないそうです。素人考えでは、え?一番売れるだろう東京では売らない、ってどういうこと!?と思いますが、地方でしか買えないブランドというのはそこに行かなければ手に入らないわけですから、そこには希少価値・付加価値が付きますね。
具体的には仙台、神戸、福岡のセレクトショップで卸展開をし、また、ニューヨークではショールームからスタートさせたそうです。
ただ月に最大3回だけ、ネット販売を数量限定で販売するそうです。そしてその結果一枚13,800円(税別)のTシャツがわずか5分で売り切れたそうです。
<F.M.J.magazine> より引用
マリエの会社にコラボする人も現れる!
マリエさんが経営する会社はかなりブランディんがされ、コラボを申し出る会社も現れています。
マリエさんはもう世界的に活躍中ですね!
夢を叶えて社会課題の解決を目指す!フィリピンにファッションスクール設立へ✨
元モデル・タレントでありデザイナーのマリエさんとコラボしてアパレル商品を限定販売!
商品は全てオーガニック生地で地球環境に配慮されたユニセックスアイテム👗👚🎽https://t.co/nRMGBzVsbV— Makuake@アタラシイものや体験の応援購入サービス (@makuake_ca) August 24, 2019
環境省のアンバサダーを務めるマリエ!
2020年7月13日、「サステイナブルなファッションの促進に向けた提案」が、小泉進次郎環境大臣に提出されました。このファッション業界がもたらす環境負荷改善を求めるメンバーの一人にマリエさんがいらっしゃいます。
マリエさんは環境省のアンバサダーを務めているのです。マリエさんは
「使用されている素材や生産過程、さらには物流にかかわるものまで、商品の背景にある多様なストーリーを消費者に伝えていくことの大切さ」
を強く思っているそうです。
マリエの両親の現在は?アパート暮らし?
マリエさんはかつて超お嬢様として、豪華な生活の様子が素晴らしく憧れられる存在でもありましたが、現在はその当時とは少し様子が変わってきているようです。
マリエの父親の会社の倒産と両親の離婚
マリエさんの父はフランス系のカナダ人で、フランスの自動車用オイル輸入代理店の元社長として『石油王』と呼ばれていたビジネスマンでした。そして、母親は日本人のハーフで元客室乗務員でした。それからは国内でまつげエクステ店やヘアサロンを経営していたそうです。
ゴージャスな暮らしぶりはマリエさんを通しても伝えられ、フランスのニースとパリ、アメリカのロサンゼルスと都内に2件の自宅を持っていました。そればかりでなく、自家用ヘリやクルーザーも持つ超セレブでした。
が、現在はマリエさんの父親の事業が失敗をして多額の借金を負ってしまいます。そして、ご両親は離婚をしました。
マリエが自宅を買い取って借金で差し押さえ?
ご自宅は2009年にマリエさんが買い取って名義をマリエさんに変更したそうです。
その時のマリエさんの借金は6500万円に上ると言われています。
が、マリエさんの母親の話によると、6500万円の借金をして自宅を買い取ったのはずっとマリエさんが所有する、ためだそうです。
一部報道によると、借金の返済が滞って一時差し押さえられたこともあった、とのことですが、マリエさんの母親によると「固定資産税10万円を払い忘れただけですぐに支払いが済んでいる」とのことです。
マリエさんは現在、アパレル会社を立ち上げ、ブランディングもうまくいっているようなので、6500万円の借金があったとしてもマリエさんの収入があればほどなく返済できることと思います。
それよりも、住み慣れたご自宅でご家族と一緒に住める、ということはマリエさんにとってもご家族にとっても嬉しいことですね。
若い頃のマリエ
ツイッター炎上事件
あれほど人気のあったマリエさんが急に表舞台から姿を消したのにはあるキッカケがありました。それは当時としてはまだ珍しいツイッターの炎上事件でした。
2011年、東日本大震災の時、マリエさんが交際してい男性は宮城県の気仙沼の出身でした。震災で最も被害の大きかった地域の一つです。ご本人も勿論被災されご家族友人も被災され、極限状態にありマリエさんは彼を支えなければなりませんでした。それがどれほど大変なことか想像ができます。そんな中、まだ22歳という若さのマリエさんは当時自分に向けられた誹謗中傷を受け流すことができず、激しい言葉で応戦してしまいました。
「世の中チャリティー産業かよ」
「こっちはいろんなところから募金です金くださいってれんらくがたえなくってこまってんだよ!」
確かにツイッターにその言葉を書き込んだら叩かれそうです。でも当時はそれう思い至らぬほどの状態だったとも言えます。
でも、今はあの頃よりずいぶんと大人になったマリエさんは当時を反省して次のように語っています。
「すごく反省しています。私の言い方が悪かったです」と姿勢を正し、以下のように続けた。
「当時、私がセレブタレントと呼ばれていたこともあり、さまざまな所から『セレブなら寄付しろよ!』という心無い言葉がかなりの数寄せられていたんです。当時はそれをスルーできず、つい言い返すようなツイートをしてしまって……。もう少し言葉を選べば良かったのに」
『パーソンズ美術大学』に半年間の留学
ツイッター炎上事件後マリエさんは『パーソンズ美術大学』に半年間の留学をしました。これはツイッター炎上事件が発生する前から予定されていたのですが、時期がちょうどダブったため、あたかも芸能界から逃げるように海外に留学したような印象を世間に与えてしまいました。
そして2012年に留学を終えて帰国。その後2017年にオリジナルブランドを立ち上げるまでは芸能界には復帰せずにブランドを立ち上げる準備に専念をしていました。
そうして立ち上げたブランドが「PASCAL MARIE DESMARAIS(パスカルマリエデマレ)」なのです。
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まとめ
マリエさんはかつてモデルとしてそしてセレブタレントとして大人気でした。ところがタイッター炎上後、海外留学をし表舞台からは退きました。その後準備期間を経てオリジナルのファッションブランドを立ち上げました。
非常にしっかりしたコンセプトの基づいている会社なのでその考え方に賛同する人が多く集まっているようです。
これからの活躍を期待したいと思います。