モデルのように美しい騎手ミカエルミシェルさんは今競馬で注目されている女性騎手です。
2019年8月に来日して騎手として活躍するや否や、札幌競馬第10競走(WASJ第3戦)でスワーヴアラミスに騎乗して1着となり、JRA初勝利を挙げました。
騎手としての実力もあり、美しいミカエル・ミシェルさん。
ミカエルミシェルさんについて調べてみました。
ミカエル・ミシェルさんがフランスに帰国の理由
4月9日、ミカエルミシェルさんはコロナの影響でフランスに帰国されました。
飛行機に乗る人が少なくなっているので間もなく、日本からフランスに向けて飛ぶ飛行機の便が無くなってしまいそうなるとフランスに帰れなくなてしまう。仕方なくフランスに帰国する、という事情です。
予定ではビザが切れる4月いっぱいは日本にいる予定だったので、本当に残念そうでした。
でも、帰国に際し次のようにお話されているので、必ず日本に戻ってきてくれること思います。
早く解決すれば夏には戻ってきたいですし、JRA騎手免許の秋の一次試験と、来年の二次試験を受けたいと思っています。その間の3ヶ月、地方競馬の短期免許での騎乗も、予定通りできたらいいなと願っています。
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ミカエル・ミシェルさんの生年月日・国籍など
1995年7月にフランスのイエールで生まれました。
幼いころから乗馬に親しみプロの資格も取得しまし2014年にフランスで騎手としてデビュー。
2018年にはフランスで女性騎手として国内最多勝の記録を出しました。
日本が大好きで2019年に来日、2020年には日本の免許を取得し日本の競馬界で活躍することになりました。
騎手になったきっかけ
初めての乗馬
9歳の時に、お友達が「乗馬をするキャンプに行くんだ」と話すをの聞いて羨ましくなったミシェルさんは、おかあさんに頼み込んでキャンプに一緒に行きその時に馬に乗ったのが初めての乗馬だったそうです。
その時のことは今でも覚えているとのことですから、とても印象的だったのでしょうね。
騎手学校へ入学して騎手になる
進路に悩んでいた15歳の時、自宅から1時間の場所に騎手学校にあるのを知って体験入学をしたところ、自分がやりたいことはこれだ!と感じたそうです。
しかし、母親は危険な仕事だと猛反対。説得するのに一年間もかかりました。
今は騎手であるミシェルさんを応援してくれているけれど、やはり危険な仕事であることに変わりはないのでとても心配しているそうです。
騎手になってから
落馬による大けがを乗り越えて
2014年にプロ騎手としてデビュー後、落馬して大けがを負ってしまいました。この時、医師からは乗馬はもう絶対にできない、と言われるほどの大けがだったそうです。
けれど、騎手としての復帰をあきらめなかったミシェルさんは、ニューカレドニアに行き環境を変えた中でリハビリなどを頑張り復活に結び付けました。
騎手を辞める時は自分の意思で辞める。怪我等の外的要因で辞めたくない、というミシェルさんは強いですね!
騎乗した馬は全部覚えている
ミカエル・ミシェルさんは騎乗した馬のことは全部覚えている、というミシェルさんは本当に馬が好きなんですね。
たとえ前評判がよくない馬に乗っても、頑張って良い成績を取って周囲を驚かせたこともたびたびあるそうで、試合は全て記憶に残っているそうです。その中でも一番印象的なのは2019年の札幌でのレース「ワールドオールスタージョッキーズ」です。
夢はJRAの通年騎乗免許のための再来日
ミカエルミシェルさんの夢はJRAの通年騎乗免許です。
JRAの騎乗免許に試験は日本語ができないと合格できないそうなので、そのために日本語の勉強を一生懸命しています。
フランスに帰国している間も日本語の勉強をし、秋にはJRAの通年騎乗免許の試験を受けたいお気持ちがあるようです。