朝ドラ「エール」で新しい境地を開いた唐沢寿明さんに人気が集まっています。
若い頃のトレンディドラマ「愛という名のもとに」の主役だった爽やかな青年から、「白い巨塔」の大学教授に上り詰めようとする野心に満ちた財前教授まで、実に多彩な役柄を見事に演じ分ける唐沢寿明さん。
そんな唐沢寿明さんの若い頃はどんなだったのか?と思います。
どういう人生を歩めば「今の唐沢寿明」が出来上がったのか、若い頃の唐沢寿明を見てみましょう。
唐沢寿明の生い立ち
東映の養成所に入門
唐沢寿明さんは小学生の時橋爪功さんの演技を見て俳優を意識するようになったそうです。小学生の頃ですから現実とドラマの境が分からず、悪役を演ずる橋爪功さんを本当の悪い人と信じていたところ、実はそれは「演技」というものだと知った時に「俳優」というものを知っったのです。
中学3年生の時東映の撮影所を訪れ、守衛さんに『俳優になりたい』と声をかけました。でも、
相手は守衛さんですからね「中学を卒業したらまたおいで」と言って彼を返したそうです。
中学を卒業してさっそく投影に出向いてみると話は全く伝わっていませんでした。
でも先方はあまりに必死な彼を見て東映の撮影所に入れました。
スーツアクターからの出発
東映の撮影所の入るときに「普通の俳優がになりたいか、アクション俳優になりたいか」という問いに唐沢寿明は憧れの‶ブルースリー″に近いアクション俳優を選択しました。
その選択によって彼は「仮面ライダー」のショッカーのようなスーツアクターの仕事ばかりをすることになってしまいました。
家出
唐沢寿明さんのご実家のご両親は、絶えず夫婦喧嘩をする方々だったそうです。両親の仲裁をするのは彼でした。
横暴な父から母を守りたい、というお気持ちがあったのでしょう。ある日、両親の喧嘩の最中に彼はお父さんに向かって「出ていけ!」と言ったそうです。そして、出ていく父。母を守り切ったと思った唐沢寿明さんでしたが、お母さんに言われた言葉は「あんたが出ていきなさいよ。」
その言葉にショックを受けた唐沢さんは、母の言葉通り「家出」をしました。高校2年生の時でした。
その時すでに東映の養成所にいてスーツアクターの仕事をしていましたが、給料が少なかったため、コンビニ店員や清掃スタッフとして他のアルバイトで食いつなぐ日々でした。
唐沢寿明さんのそんな下積み時代は8年間続いたそうです。
そんな時代を振り返って後に次のように著書に記しています。
ずっとずっと「ひとり」だった。
学校から抜け出し、家や養成所からは追い出された。
食べるためにもぐり込んだバイトにもなじめなかった。
自分たちで作った劇団も消滅した。
居場所がなかった。
それでもひとつだけわかっていたことがある。
役者になりたかった。
「研音」への移籍
その後、浅野ゆう子さんと出会いが唐沢寿明さんの運命を変えることになります。
浅野ゆう子さんが唐沢寿明さんに「爽やかな路線でいってみてはどうか?」とアドバイスしたそうです。
唐沢さんはその時浅野ゆう子さんが所属していた「研音」に移籍し、アドバイス通り「爽やか路線」
に方向を変えたところ、大ブレイク!
浅野ゆう子さんが恩人であることを唐沢寿明の本「二人」で紹介されています。
「愛という名のものに」で大ブレイク
1992年『愛という名のもとに』で好青年の役で一気にブレイク。
演じたのはエリート好青年の役で、仮面ライダーショッカーをやっていた過去は真逆の爽やか路線の唐沢寿明が誕生したのです。
「唐沢寿明と山口智子の馴れ初めから結婚まで。ぞっこんで喧嘩は一度」の記事はこちら