2019年にNBAドラフト一巡目でワシントン・ウィザーズから指名された八村塁選手。
八村選手は日本人の母とベナン人の父のハーフで生まれ富山県で育ちました。
ハーフということもあり、私はてっきり八村選手は元々英語が得意なのだと思っていました。
アメリカでの八村選手へのインタビューをTVのニュースで見た多くの方が、疑いなく八村選手はハーフなのだからもともと英語を話せたのだろうと思っていたのではないでしょうか。
ところが、八村選手は高校2年生まで英語を話せなかったそうです。
ま、中学から英語を学校の授業で習っていて、高校で3年間更に普通に勉強しても話せるようになる人はほとんどいないので、それは日本の英語教育が間違っているのでは・・・と思ったりもしますが、それはこここでは置いておいて・・・。
八村選手が短期間でネイティブ並みに英語が話せるようになった英語の勉強方法について調べてみました。
八村選手の小学生時代
野球少年だった小学生の時
八村選手は小学生時代は野球少年だったそうです。「奥田少年野球クラブ」に入り4番キャッチャーとして活躍をしました。
小学生のころから身長が170㎝もあり、かつ身体能力もずば抜けていた八村選手の投げるボールは球速もあってずっしりと重い球質のボールを投げていたので他の普通の小学生には捕れませんでした。そして、八村選手が投げるボールを打てる子もいなかったのです。
仕方なく彼は捕手や一塁を守っていました。
攻めに回って、芯に球があたればホームラン。ゴロになっても球速が早くて誰も追いつけない。更に足も速かったので盗塁をすれば必ず成功したそうです。
陸上大会で優勝
八村選手が小学5年生の時に小学校代表として出場した陸上の大会では100m走で大会新記録の13.81秒で優勝しました。
八村選手の中学生時代
野球でも陸上でも名を馳せた八村選手。中学生となって選んだスポーツはバスケットボールでした。
八村選手のうわさを聞いていた中学校のバスケットボール部コーチが八村選手の友人に「彼を連れてきなさい」と熱心に誘いました。最初はバスケットボールに興味が無かった八村選手は断っていたのですが、とうとう根負けしてバスケットボール部に入部をすることになります。
この時のコーチこそ、君はバスケットボールでNBAに行くんだ!と呪文のように八村選手に言って彼をその気にさせた坂本穣治さんです。
そしてNBAを毎日のようにビデオで見ていた八村選手は
バスケというのはスポーツの中でもすごい黒人が多いスポーツで
黒人でデカくて そういうのがすごくカッコいいというのは
本当にカッコいい 憧れみたいなもの
と思うようになったのです。
これこそ、バスケットボール部にしつっこく誘った坂本穣治さんが意図していたことでした。
肌の色や体の大きさに、コンプレックスをもっていた八村選手が自らを活かす最高のポジションを見つけたのです。
八村選手の高校時代
八村選手は自宅のある富山から遠く離れた仙台の私立明成高校に進学しました。
この明成高校のバスケットボール部は2005年の創部、と歴史の浅いものでした。ところが創部からたった2年の2007年には全国大会3位、2010年には2位、と全国のTOPレベルになったのです。
それの、創部からわずかな時間で全国レベルへと押し上げた監督の指導を受けるために、八村選手は明成高校を選びました。
そして明成高校では1年生のときからレギュラーになり、高校総体では1.2.3年生の時毎年入賞し、3年生の時には初優勝を果たします。更にウインターカップでは毎年優勝しました。
この高校2年生の時、八村選手にある転機が訪れます。
アメリカのNCAA(全米大学体育協会)のスカウトマンが八村選手の大会得点王、という活躍に注目したのです。そして、海外の大学からスカウトの声がかかるようになりました。
数多くの中から八村選手が選んだ大学はゴンザカ大学でした。
しかし近い将来NBAに行く、そのためには彼には不足しているものがありました。
それは、「英語力」です。特待生になるためにはSAT(大学進学適性試験)で数学と英語の試験をクリアしなければいけないという基準があります。
「英語力」を身に付けるために彼はバスケットボールの他に英語の勉強にも必死に取り組むことになりました。
八村塁選手、18歳のときです。
八村塁選手の英語の勉強方法
高校生時代
ゴンザカ大学に進学を決意した高校3年生の八村選手は英語の特訓に励みました。
朝は特別に7:30から学校で英語の勉強をし、昼休みには外国人の先生に英会話を習ったそうです。
富山の実家へ帰省するときでさえ、アメリカ人の先生が一緒に行き会議室を借りて英語の勉強をした、という逸話もあります。
そして3月の高校を卒業したあと、ゴンザカ大学の入学式の9月までの間は明成高校の協力で、寮に残って英語の勉強を続けることができたのです。明成高校の八村選手への期待度が分かるというものです。
大学に入学してから
無事ゴンザカ大学に入学した八村選手に対しゴンザカ大学は特別のプログラムを用意してくれました。
八村選手に英語の家庭教師をつけ、バスケットボールの練習後も、飛行機での移動中も毎日隙間時間を見つけては英語の勉強をさせたそうです。
そして、八村選手はそういった勉強時間だけでなく、日常の生活の中でも~音楽を聞いたり、映画やドラマ、ゲームの時も英語に触れるようにしました。
ラップを聞いたり映画やドラマ、ゲームなどでも常に英語に接するようにしました。
現在の八村選手の英語力
ゴンザガ大学のフュー監督は八村の英語を、
1年目は10%しか分からなかった。
2年生になって40%。
3年生なった今は100%通じる
と評価しています。わずか数年でネイティブ並みになったということですね。
そのネイティブ並みの八村選手のインタビューの様子を見てみましょう。
日本人のルーツを持ち、日本に生まれ育ち、そして高校2年まで英語を話すことができなかった八村選手。
たぐいまれな才能と人の数倍もの努力でご自身の道を切り開いてこれからもその道を進もうとされています。その姿を見ると、遠いところにいるスーパーマンであるにも関わらず、自分ももう少し頑張ってみようか、と思える存在です。