チョコプラの下積み時代貧乏エピソード!恩人・星座庸子との絆が泣ける…

芸能人

チョコレートプラネットをTVで見ない日は無い、どころか今は日に何度もTVで見かけますね。ところが、このお二人意外なことに不遇の時代が長かったのです。

まあ、芸能人は早々とブレイクするか逆に下積み時代が長いかのどちらかですが、意外な人に売れない時代があり、聞いてビックリ!することもままあります。特にお笑い芸人には多いでしょうか。また、ブレイクしたとしてもわずかな時間で売れなくなってしまった芸能人もたくさんいるようです。

一見華やかだけれど、厳しい世界ですね。

チョコプラの下積みの貧乏時代について調べてみました。

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チョコプラ結成して2年でキングブコントのファイナリスト!

チョコレートプラネットは2006年にコンビを結成しました。そしてそれからわずか2年、2008年にキングオブコントのファイナリストに選出されました。

 

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チョコプラ下積みの時代が10年間あった

この結果だけを見ると華々しい活躍で順風漫歩の芸能生活、と思いがちですが、チョコプラのお二人の話によると全く順調ではなかったそうです。

つまりお仕事が来なかったのです。

キングオブコントのファイナリストになったら、その後のお笑い芸人の道が開ける!と思いますが、そうではないのですね。当の本人たちも最初は、売れる!と期待をしたのですが、期待が外れてしまいます。そしてその鳴かず飛ばずの時間がなんと10年続きました。

10年!10年ですよ!

よく辞めなかったですね。

ちなみにチョコプラのお二人の年齢を調べてみると

長田 庄平(おさだ しょうへい)さん 1980年1月28日 -生まれ 2021年現在41歳

松尾 駿(まつお しゅん)さん    1982年8月18日 – 生まれ 2021年現在39歳

ですのでコンビを組んだときは、長田さんは26歳、松尾さん24歳、キングオブコントのファイナリストに残ったときは長田さん28歳、松尾さん26歳。

長田さんは嵯峨美術短期大学、松尾さんは千代田工科芸術専門学校を卒業しているので、もし新卒で就職していたら社会人を数年経験して会社の中でも慣れて仕事ができるようになってきた頃ですね。

キングオブコントのファイナリストに残った段階で、一気に階段を駆け上りたい、という思いが絶対にあったはずです。

それなのに、そこから10年下積み、って聞いただけでつらくなりますね。

逆によく10年間も「もった」なと思います。よく諦めずにここまできました。

 

チョコプラが10年の下積みを経てブレイクしたきっかけ

10年間、鳴かず飛ばずの下積み時代を過ごしたチョコプラがブレイクしたきっかけは、2017年にスタートしたTV番組『ウチのガヤがすみません!』に出演して、松尾さんのIKKOさんのものまねがウケて大きく跳ねたときです。

 

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それでも、長田さんは、まだ不安で

「もしかすると活路が開けるかも」と思いました。「これでイケる!」とまでは思いませんでした。

とふりかえっています。また、松尾さんも

IKKOさんのものまねが世の中に受け入れられていくにつれて少しずつ仕事が増えて、不安な気持ちは減りましたけど、長田さんが言うように「これでイケる!」とは思えませんでしたね。

と慎重でした。

10年間も下積みの時代を過ごすと、そのように慎重なメンタルになるのかもしれませんね。

 

下積みの10年間のチョコプラは?

 

後輩のお笑い芸人からドンドン先を越される日々

チョコプラの1年後輩の芸人に渡辺直美・ジャングルポケット4年後輩に横澤夏子7年後輩にゆりあんレトリィバァといった人気の芸人たちがドンドン売れ出して先を越されていきました

随分と焦っただろうな・・と推測しますが・・・その間お二人はどんなお気持ちだったのかと思います。

お仕事が全くないわけではなく、後述しますが舞台のお仕事は優先して回してもらっていました。そして舞台でネタを披露すると受けるのだそうです。それでも売れない。ネタが受けなくて、売れないならばわかるけれど、そうではないので、改善の方法が無かったのです。

売れないときチョコプラは何をしていたか?

そんな時松尾さんは、ドンドン売れていく周りの人を見ていると、急に売れたけれどそのあとすぐダメになる芸人もたくさんいて、そういう人をじ~~~っと観察していました。その観察で分かったことは、

しっかりネタをやっている人とそうでない人では、ブレイクした後に差が出る

ということでした。すごい勢いでテレビに出まくっても、あっという間に消えていく人は、ネタをしっかりやっていないそうです。「引き出し」が少ない、ってことなのでしょうか。

下積み時代は舞台でコントをするほか、チョコプラのお二人は『江戸のえじそん』という主に俳優が出演する舞台に参加して、演技力に磨きをかけていました。そうした地道努力が「力」となって、チョコプラをブレイクに導いていたのではないでしょうか。

貧乏だったチョコプラの松尾は同居人のゲームを売りさばいた!

チョコプラの松尾さんは、ある時期お笑い芸人の仲間たちと3LKDのアパートで同居していたことがありました。

相手は

お笑いトリオ「ジャングルポケット」の太田博久

お笑いコンビ「シソンヌ」のじろう

バースの近藤裕希さん(現在は引退)

 

「ジャングルポケット」の太田博久さんは後輩なのに、一緒にいる時間が長くて気を使うのが大変だから敬語を辞めよう、と提案して「じろうちゃん」とか「まっちゃん」と呼んでため口をきいていました。でも松尾さんはそれが良かった、とおっしゃっています。

確かに自分が先輩だと、先に売れた後輩にご飯を食べさせてもらうのはちょっと気が引けますね。

その後ジャングルポケットが先にバンバン売れ出して、後輩の太田さん方が先に稼ぎ出したので、経済的に太田さんが支援してくれたのです。

みんなで外食に行くと、一応形は松尾さんとじろうさんも(一応ポーズで)払おうとするのですが太田さんが

「いいよいいよ、オレ払うから」

と言ってくれるそうです。そしてその言葉を聞いた次の瞬間には

「ごちそうさまです」

と言って太田さんにお支払いをお願いしました。

太田さん、偉い!

ところが、こんなにお世話になっていながら(笑)ある日、太田さんが留守の時にまだ売れない松尾さんとじろうさんが家にいておなかがすいてきました。お金が無くてどうする?となりました。

人間、究極までおなかがすくと悪知恵が働くのでしょうか(笑)・・太田さんが仕事でゲームをもらってきてそれを持っていることをじろうさんが思い出しました。おなかがすいていた二人は、なんとその太田さんのゲームを売りに行って、そのお金で食事をしたそうです💦その時のご飯はすご~く美味しかったとか💦

太田さん怒らなかったかしら?それとも、出世払いで、きっと太田さんに御馳走したのではないかしら?・・・と思いたい。

 

「ジャングルポケット」の太田博久さん↓

チョコプラの下積み時代の恩人星座庸子

チョコプラの下積み時代には星座庸子さんという恩人がいました。チョコプラのお二人はこの星座庸子さんがいらっしゃらなかったら芸人を辞めていた、と断言されています。

その星座庸子さんは当時幕張劇場の支配人でした。

チョコプラのお二人は

「今の俺らの芸人としての立ち位置とか悩みを全部分かっている状況で聞いてくれる人って星座さんしかいなかった」

「星座さんは要所要所で助けてくれる。死にそうになった時に現れる」

など、星座庸子さんに全幅の信頼を寄せています。

 

売れない時代が長引いたチョコプラ。切羽詰まった松尾さんはある時星座さんに会社を作って独立しよう、と持ち掛けました。独立、というのはお笑いの世界においては禁断、まあ、言ってみれば裏切り?みたいなもの。その時星座さんは「会社を辞める選択肢はない」と断ります。

その後、星座さんは独立話を持ち掛けたチョコプラを突き放すのではなく、優先して舞台にたてるように配慮してくれたのです!その回数は月に20回に及びました。おかげでチョコプラの二人はアルバイトなどせずに、お笑いに専念することができました。そして一度も休むことなく舞台に立ち続けて、コントの実力を付けていったチョコプラ。

「あの時、星座さんに相談できていなかったら芸人を辞めていたと思います」

まさにこのチョコプラの言葉にすべてが詰まっているように思います。

本当に良かったですね!

今日私たちがチョコプラのコントを楽しめるのも、星座庸子さんがあの時チョコプラを助けてくれたからなんですね。

という話を調べていて一体星座さんってどんなお顔をされているんだろうか?と思いましたら。。。お若くて優しそうでお綺麗な方でした。

そしてその星座庸子さんがチョコプラのことをつぎのように語っていらっしゃるのですが、そのチョコプラ愛がもう「無償の母」です!

「その長田くんの面白さに欠かせないのが松ちゃんという存在。印象的な多様な声と表情豊かな顔。松尾駿というおもちゃを存分に長田庄平がいろんな形に改造して世に出している感じ…って、語っちゃうくらい好きなんです。

「私だったらチョコプラをもっと理解できる、と考えたこともあったが、幕張の支配人という立場上、他の芸人を放っておくことはできない。勝手にチームチョコプラとして今後も変わらないスタンスで近くにいさせてください」

 

まとめ

今は飛ぶ鳥勢いのチョコプラですが、ここに至るまで10年間の下積み時代がありました。そのころは貧乏で、お笑い仲間と同居しても、売れている後輩に食べさせてもらっていたそうです。

また、そのころ星座庸子さんという幕張劇場の支配人に配慮してもらい一ヶ月のうち20日間は舞台に立たせてもらい、おかげでアルバイトをせずにコントにまい進できました。今日のチョコプラがあるのは星座庸子さんのおかげ、とチョコプラも言っています。

今稼げるようになったチョコプラはお世話になった方々にご恩返しができるようになって良かったですね。

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