俳優・そして歌手として大人気の菅田将暉さんのお父様が関西ではかなり有名な人で話題の人だそうです。
菅田将暉さんは2009年に「仮面ライダーW」でデビューその後はアイドル的な仕事から徐々に文芸的な作品が増え、その演技力が高く評価されるようになりました。
役柄に合わせて髪型のみならず肉体も変えるので(体重を10g減らしたり15㎏増やしたり)、どの役が本当の菅田将暉さんに近いのかこちらもわからなくなり、その捉えどころのない感じがまた人気を呼ぶところでもあります。
そんな菅田さんはどのような家庭で育ったのでしょうか?
有名人と言われるお父様のお仕事について調べてみました。
菅田将暉さんの父親は有名人!
菅田将暉さんのお父様は菅生新(すごう あらた)さん。
現在は経営コンサルタントをしていらっしゃいますが、元は役者をしていらしたそうです。
菅田将暉の父親 菅生新(すごう あらた)さんの出身高校、年齢など
菅生新さんは1959年生まれ。
高知県の出身。
出身大学は清風南海学園高校卒から 同志社大学卒同志社大学法学部です。
菅田将暉の父親 菅生新(すごう あらた)さんの職業、会社など
①卒業後は藤沢薬品工業株式会社に就職します。
②その後SMI(Success Motivation International Limited)の代理店として独立します。この会社は自己啓発・教育プログラムを販売する会社です。
この会社では1991年、1992年SMI世界大会で2年連続「セールズ世界大賞」を受賞しました。
これを聞いただけでかなりのやり手、ということがわかりますね。
③そして次に株式会社エグゼクティブ大阪を設立、社長となります。こちらは経営コンサルタントが主な仕事で具体的にはベンチャー企業の顧問、著作の執筆、研修、講演活動などを行っています。
本も出版していった菅生新
また『スゴー家の人々~自叙伝的 子育て奮闘記~』(トランスワールドジャパン)という子育て奮闘記も出版しました。
なんでも菅田将暉さんがデビュー直後は、お父さんの菅生新さんの方が有名だったという話です。
このことは
テレビ局の関係者が言う。
「菅田の父親は菅生新(すごうあらた)といって関西ではテレビやラジオのパーソナリティとして知られています。もともとは製薬会社の営業マンだったのですが、30歳を過ぎて経営コンサルタントに転身、前後して関西のローカル局で『菅生新のサクセスファイター』などの番組を持っていました」息子が有名になってくると、マスコミへの露出は控えるようになったが、それでも自己啓発セミナーの講演などで全国を飛び回る毎日。そこで、東京でのセミナーを終えて壇上から降りてきた菅生氏を直撃すると、
「いやあ、“お父さん出たらアカンよ!”て事務所から言われてるからねぇ」
そう言いながらマシンガンのように喋る喋る。引用:菅田将暉を悩ます“出たがり父” 息子に「吉田拓郎を紹介しろ」
と言われています。
菅田将暉の父親 菅生新(すごう あらた)さんのブログ
また菅生新さんはご自身のブログをもっていてそこで息子である菅田将暉さんのことを積極的に語っておられます。
アメブロでそのブログ名は「スゴー家の人々」という名前です→☆
菅田将暉の母親 菅生好身さん
菅田将暉さんはお母様似でいらして、とても綺麗なお母様です。
お父様と二人、ハッピーオーラがでているような、明るいご家庭が目に浮かぶようですね。
ご両親揃って菅田将暉さんのライブに行くことも
お父様の菅生新さんのブログを読むと、ご両親揃って菅田将暉さんのライブにいらしたときの感想が書いてあり、興味深く読みました。
お父様から見て、ライブの菅田将暉さんは「吉田拓郎さんに髪型や唄い方、立ち姿がソックリに思えて…」と書かれて本当に感激されています。
自慢の息子さんですよね!
菅田将暉さんの二人の弟たち
菅田将暉さんには二人の弟さんがいらっしゃいます。
以前、弟さんがTVに菅田将暉さんと一緒に出られていてグリーンカレーを食べに行く、という設定だったのですが、声が菅田将暉さんにそっくりで驚いたことがあります。弟さんのお顔は出されていませんでした。
菅田将暉さんが芸能界にデビューするために東京へ行ってしまった時、下の弟さんはまだ小さくて寂しくて泣いていた、というエピソードを聞くとなんて可愛らしい!と思うのと同時に菅田将暉さんはきっと弟さんたちをよく面倒みた優しいお兄さんなんだろうな、と思います。
菅田将暉さんが結婚されたら・・
菅田将暉さんがどのようなお人柄なのか知りませんが、「勢いのある出たがりのお父様」というのが、菅田将暉さんに対して私が勝手に抱いているイメージと随分かけ離れていて意外な印象です。
また、菅田将暉さんは映画「糸」で共演した小松菜奈さんとの熱愛が報じられています。
お二人がご結婚されたら、このご夫妻が小松菜奈さんの舅姑になるんだぁ・・・、と庶民的なことまで考えてしまうのでした。