新庄剛志 貧乏な幼少期の詳細! 父親の職業、子供の頃の食事や性格など

スポーツ

新庄剛志監督ビッグボスは華やかで明るくて、人を引き付ける魅力がありますね。

どれだけ恵まれた人生なんだろう~!?と思いますが、幼少時代はとても貧乏だったと聞きました。プロ野球界に入るにはある程度裕福なご家庭のお子さん、というイメージが私にはあったので意外な気がしました。

新庄剛志監督ビッグボスの幼少期について。

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新庄剛志監督ビッグボスの幼少期は超貧乏だった・・・

 

 

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新庄剛志監督の実家の家族構成

新庄剛志監督ビッグボスの実家の家族構成は、父母と姉の4人家族でした。

後程詳しく書きますが、新庄剛志監督ビッグボスの父親は造園業を営んで一家の生計を支えていました。人間味のあるとても素敵なお父さんですが、いろいろと破天荒な面もあってご家族は苦労もされたようです。

 

新庄剛志監督の幼少期は貧乏だったエピソード

新庄剛志監督は「わいたこら。 ――人生を超ポジティブに生きる僕の方法」という自伝的エッセイを出版し、新庄剛志監督の幼少期の思い出や現役時代の多数のエピソードを紹介しています。その著書は、字が苦手な新庄剛志監督が口述したものをライターが書き起こしたもので、読んでいてとても面白いです。

そしてその本によると、新庄剛志監督ビッグボスの実家は幼いころ、とても貧乏だったそうです。その貧乏の度合いが新庄剛志監督の表現をもって知ると何となく楽しく感じてしまうのが、とてもポジティブで楽しい。

 

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例えば・・・

家の窓ガラスが割れてしまっても直すお金が無く、冬は仕方なくビニールを貼って窓をふさいでいたらりしました。車の窓も同様に、ビニールを貼っていたそうです。

また朝食は無く、お昼は学校の給食、夜ご飯のおかずは卵1個だけ(ただしお父さんは2個)という日もあったとか。

そして野球をしてもスパイクのような高価なものを買う余裕はないので、ゴム製の上履きを履いて野球をしていたそうです。

でも、新庄剛志監督が幼いころ、冬の寒さに耐えかねて初めて父親に革の手袋を買って欲しいとお願いしたところ、新庄剛志監督にお父さんは自分の仕事用の道具に使うべきお金を息子の革手袋を買うお金として都合してくれたそうです。その時は新庄剛志監督は父親にとても感謝したと言っています。

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幼少期貧乏でも両親を愛し続ける新庄剛志監督ビッグボス

 

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それだけ幼いころに貧乏で苦労をしていると、自分が稼げるようになって(それも世間一般と比べて破格の金額)自立したとき、親をどう思うのだろか?と心配したのですが、新庄剛志監督ビッグボスは今でも親をとても大切にしています。

阪神タイガーズに所属していた現役のとき、監督との折りが悪く退団することになりました。その時の退団理由が「センスが無いので野球を辞めます」。お世話になった球団や監督のその後を思って「監督と折り合いが悪くて辞めます」とは言えませんでした。

 

そして阪神を辞めると知るとショックで新庄剛志監督の父親が倒れてしまったという連絡を受けました(実は単なる体調不良を大げさに伝えたらしいです)。

すると父親が倒れたのは自分が阪神を辞めるとしりショックで倒れたのだと思い、父親に元気になって欲しい一念で球団に頭を下げ、退団を取り消してもらったそうです。

それほどまでに親思いに育ったのは、新庄剛志監督ビッグボスが幼いころにたっぷりご両親の愛情を受け、それを感じ取っていたからにちがいありません。では次は新庄剛志監督ビッグボスの父親と母親について詳しく調べてみたいと思います。

 

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新庄剛志監督の幼少期に野球をさせた 父親 新庄英敏

 

新庄剛志監督ビッグボスの父親は野球選手になる夢を息子に託した

新庄剛志監督ビッグボスの父親、英敏さんは2011年に虹の橋を渡られましたが、お元気でしたら息子が日本ハムの監督まで昇りつめたことをどれほど喜んだことでしょうか。

生前「息子のことはニュースで知る」と、新庄剛志さんから直接話を聞くのではなく、情報を得るのはニュースからと言うようなことをおっしゃっていましたが、普通自分の息子はニュースにならないですから(笑)、ニュースになるような息子さんを持ったということですね。

その新庄剛志監督ビッグボスの父親英敏さんは1941年福岡県筑後市に生まれました。その新庄英敏さんもまた、幼い頃はプロ野球選手を目指していました。

巨人軍が好きで、大きく案ったら巨人軍の選手になろうという夢をもっていたそうです。が小学6年生の時に盲腸が破裂してその後遺症からプロ野球選手の夢はあきらめざるを得ませんでした。

そう、新庄剛志監督ビッグボスの父親である英敏さんはご自身が果たせなかった夢を息子に託したのです。

けれど、ここでちょっと疑問なのが、あの新庄剛志監督ビッグボス、が親に言われたからと言って果たしてプロ野球選手になるだろうか?と思います。誰かに言われて物事を決めるような人間ではなかったはずです。その経緯はまた後述しますね。

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造園業を30年営んで、子育て本も出版した新庄剛志監督ビッグボスの父親

さて、その新庄剛志監督ビッグボスの父親英敏さんは造園業を営んでいました。30年以上植木職人として働いたのです。のちに植木職人としての経験と子育てのエピソードをなぞらえて大リーガー新庄剛志の育て方~子育ては木育て」という本を出版し新庄剛志監督ビッグボスをどのようの育てたかの自伝的エッセイを書き綴りました。

この本を読むと新庄剛志監督ビッグボスが幼少期にどのような子育て法で育てられたのかよくわかります。おそらくは、当時子供であった新庄剛志監督には気が付かなかったことも描かれているのだと思います。

新庄剛志監督ビッグボスの父親によると、木には水を上げるのも剪定をするのもタイミングがあるのと同じように、子育てにもタイミングを見てその時々に必要な手をかけるのがよい、と言います。普段は子供がやることにいちいち口を出さずにのびのびとさせてあげて、間違った方向に行きそうになった時だけ正してあげればよい、とのことです。

しかしそれは放任することではなく、新庄剛志監督ビッグボスが高校生の時は息子の野球の練習を毎日見に行くなど愛情は折に触れてたっぷり注いでいることを、子供にもわかるように行動で示してきました。

 

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ここまで聞くと新庄剛志監督ビッグボスの父親はなんて立派な人なんだろう!と思いますが、意外と人間味があります。実はとても「飲む」ことがお好きだったようで、深夜までそうしていたそうです。でもそれだけたくさん嗜んでも、翌朝は必ず8時には仕事を始めていました。

そのメリハリの利いた父親の生き方を幼き新庄剛志監督ビッグボスが目の当たりにしてきたことがきっとその後の人生にも大きく影響を及ぼしたと思われます。

 

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新庄剛志監督ビッグボスの父親は合気道の先生もしていた

新庄剛志監督ビッグボスの父親は、造園業の傍ら合気道の先生もしていました。さすが、合気道の先生だけあって気合の入れ方が半端ない!と思えるエピソードを、新庄剛志監督が幼少期を振り返ってツイッターで紹介しています。

新庄剛志監督ビッグボスの父親の人柄が垣間見えますね。こういうお父さんのもとで幼少期を過ごした新庄剛志監督、生きる力がみなぎっています。

 

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新庄剛志監督の幼少期を見守り続けた 母親  新庄文子

 

福岡生まれの新庄剛志監督ビッグボスの母親

新庄剛志監督ビッグボスを生み育てた偉大な母親は新庄文子さん。

1943年生まれ、長崎県対馬市の出身です。英敏さんと結婚して福岡に移り住みました。

優しいけど負けず嫌いだった新庄剛志監督ビッグボスの幼少期を語る母親

新庄剛志監督の母親文子さんは

「うちはお父さんが(広報)担当だったんですよね。あまり話をすると息子が嫌がるので」

と今はあまり取材でお話をされなくなったようです。この「息子が嫌がるので」というのはおそらく新庄剛志監督ビッグボスは高齢になったお母さんを思いやって、あまりマスコミにさらしたくないのではないかなあ、と私は個人的に想像しています。新庄剛志監督、お優しいですから。

新庄剛志監督ビッグボスの父親の英敏さんがご存命の時は英敏さんが取材に主に応じて、母親の文子さんは少し離れたところに座って合いの手を入れるという様子でしたね。

 

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母親の文子さんが新庄剛志監督の幼少期を振り返って、

小さい頃から気持ちの優しい子だった。ケンカとは無縁で、その前に、どうすれば仲良くやっていけるかを考える子でした。いまでも争いごとは嫌いだと思いますよ」

と語っています。

今の新庄剛志監督に通じるものがありますね。現在、日本ハムの監督をしながらすべての選手に目を配り「すべての選手にチャンスがある」と口にしているところは新庄剛志監督ビッグボスの幼少期のお人柄そのままにあらわれているように思います。

けれど、新庄剛志監督ビッグボスは幼少期からスポーツに関してはとても負けず嫌いだったと母親の文子さんは言います。新庄剛志監督ビッグボスは校内のマラソン大会で2位の成績を取ったことがありました。

2位とはさすが優秀な新庄剛志監督!と思いますが新庄剛志監督ビッグボスは喜ぶどころが、悔しくて大泣きしたそうです。99%の人が、校内2位でしたら喜ぶと思いますが、さすがに新庄剛志監督ビッグボス!あそこまで上り詰めるのは幼少期からそれくらいの負けん気が無いとダメですね。

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母親は幼少期の新庄剛志監督の体を大きくするため食事に気を配った

 

新庄剛志監督ビッグボスの母親は、息子が将来プロのスポーツ選手になるだろうことを見越して、息子の体が大きく育つように栄養面をいろいろ考えていたようです。

息子の体を大きくするために牛乳を飲ませたりチーズを食べさせたり、乳製品を多く食べさせるようにしたと言います。

その甲斐あって新庄剛志監督ビッグボスは181㎝76㎏という恵まれた体格に成長しました。

 

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新庄剛志監督の幼少期はサッカーも野球も両方得意だったと語る母親

新庄剛志監督ビッグボスは幼少期から運動神経がよかったのでスポーツはなんでも得意だったのではないでしょうか。

中学生のときには学校の担任の先生が「新庄君は将来プロとしてスポーツで飯が食える」と言ったほどだったそうです。その担任の先生、すごいですね!そのころから新庄剛志監督ビッグボスの才能を見抜いていたのですね。

当時、新庄剛志監督の父親は息子をプロ野球選手にしたいと思っていましたが、実は新庄剛志監督ビッグボスは野球よりもサッカーの方が得意だった時期があったそうです。でも結果的には新庄剛志監督はサッカーではなく野球を選びました。

それは親の意向で野球を選んだとしたら新庄剛志監督らしくないなあと思ったのですが、父親の英敏さんは次のように語っていました。

「プロ野球選手にさせようとレールを敷いてきたが、何をやるにしても最後は剛志の気持ちを尊重してきたつもりです。親に押し付けられてやるのではなく、自分が決めたことは責任感が生まれる」

< 引用元 https://www.news-postseven.com/>

 

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新庄剛志監督ビッグボスの「赤」好きは幼少期から父親の影響

 

 

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ワインレッドのスーツに襟の高いシャツで登場した新庄剛志監督ビッグボスに度肝を抜かれたのは記憶に新しいですが、あれほど「赤」が似合うアラフィフの男性はいないと思います。

そういえば新庄剛志監督ビッグボスが現役時代使っていたリストバンドも「赤」でそれがとても似合っていました。

実は新庄剛志監督ビッグボスの「赤好き」は幼少期からなのです。

新庄剛志監督ビッグボスの父親英敏さんが好きな色が「赤」で、それを好んで子供であった新庄剛志監督ビッグボスに着せていたそうです。そうしているうちにきっと新庄剛志監督ビッグボスも「赤」が好きになったのでしょう。

新庄剛志監督ビッグボスの父親に取材に行くと、赤い法被を着て出てくる来ることが良くあったそうです。そしてその、父親が来ていた法被の「赤」は新庄剛志監督ビッグボスが現役時代に着けていたリストバンドと同じ「赤」でした。

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新庄剛志監督ビッグボスの幼少期 まとめ

 

 

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新庄剛志監督ビッグボスの実家は4人家族でとても愛情あふれる温かいご家庭で育ちました。

が、お父さんがいろいろと破天荒な面もあり金銭的には苦しい貧乏な時代もありました。新庄剛志監督が語るとその貧乏エピソードも楽しく聞こえてくるのがさすがのポジティブなビッグボスだなあ~と思います。

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